一寸法師 発祥の地
いっすんぼうしはっしょうのち
南海電鉄本線 住吉大社駅の東に住吉大社がある。広い境内の中央に第三本宮があって,その近くに「一寸法師発祥の地」という看板と一寸法師のお碗が出ている。
一寸法師は,いうまでもなく「御伽草子」に出てくるお伽話の一つで,室町時代に成立したとされる。一寸法師のストーリーは いろいろなバリエーションがあり,現在 童話として子供に読み聞かせるものは,
むかしむかし あるところに おじいさんとおばあさんが住んでいました。二人には子どもがいなかったので,おじいさんとおばあさんは神さまにお願いしました。「神さま、親指くらいの小さい小さい子どもでもけっこうです。どうぞ、わたしたちに子どもをさずけてください」
すると 本当に小さな子どもが生まれたのです。ちょうど おじいさんの親指くらいの男の子です。二人はさっそく、一寸法師という名前をつけてやりました。・・・
これだけの内容では,何故 住吉大社が一寸法師の発祥の地なのか 理解できないが,『御伽草子』に書かれた内容は少し違っていて,
津の国の難波の里に,立派なおじいさんとおばあさんが住んでいた。おばあさんは40歳になっても子どもが居ないことを嘆いて,住吉大明神に子どもを授けけてくれるよう祈った。やがておばあさんは41歳になって可愛い男の子をもうけた。
となっている。つまり 一寸法師は,住吉さんのおかげで生まれた子供である ということで,ここが発祥の地だと称しているらしい。「発祥の地」というにはいささかこじつけのような気もするが,“発祥の地ブーム”にあやかったのだろう。
40歳の夫婦を「おじいさん,おばあさん」と呼んでいるのは 時代の隔たりを感じさせる。現在では 40歳の出産など全く珍しくなくなったが,当時の感覚では子供が生まれる可能性のない“老夫婦”だったのだろう。ちなみに,江戸時代初期の平均寿命は30歳程度だったとも言われる。四十路は初老だし、落語に登場する「ご隠居さん」も40歳代くらいとされる。
気軽に境内あちこちに移動をしているようなので、コレクションからはずす可能性があります。
写真
碑文
一寸法師 発祥 の地 住吉大社
昔話 で有名 な一寸法師 は,室町時代 から江戸時代 にかけて成立 したとされる物語集 の『御伽草子 』に出てくるお話 で,その冒頭 では住吉大明神 にお祈 りし,そのお陰 で子供 を授 かるところから始 まります。
この背景 には,住吉大神 の御加護 を得 て,無事 に応神天皇 をご出産 になられた神功皇后様 (第四本宮 御祭神 )や,薩摩藩主 島津 氏 の祖 となった島津忠久公 が生 まれた誕生石 などの安産 や子宝 に関 する説話 が広 く知 れ渡 っていたことが伺 え,現在 でも,ここ住吉大社境内 の種貸社 は,神種 を授 ける神様 として,各種 農業 の種 ,子授 けや商売 の元手 となる資本金 ,良 い知恵 を授 けて下 さる神様 として篤 く信仰 されております。
子宝 資本 知恵 元種 の神 住吉種貸社
住吉 の御誓 に,末繁盛 に栄 え給 ふ,世 のめでたきためし,
これに過 ぎたることはよもあらじとぞ申 し侍 りける。
(「御伽草子 」)