三朝温泉 発祥の地

みささおんせんはっしょうのち

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山陰本線 倉吉駅から南東に10km、足湯 株湯(東伯郡三朝町三朝636)前にプレートが掲げられている。

三朝温泉の発祥は、平安時代末期の長寛2年(1164) に源義朝の家臣であった大久保左馬之祐さまのすけが発見した伝説に由来する。

左馬之祐が源家の再興を祈願するために三徳山三仏寺へ参詣へ向かう途中、白狼に出くわした。左馬之祐は一度弓を構えて射殺しようとしたが、思い直して助けた。その夜、左馬之祐の夢枕に妙見大菩薩が現れ、白狼を助けた慈悲の心を称え、温泉の湧き出る場所を教えた。翌朝、教えられた場所の楠の老木の根元を確認すると、熱湯が湧き出していた。これが三朝温泉の始まりとされている。

江戸時代に入ると、鳥取藩主である池田氏の保護を受けた。藩主や武士たちが訪れる湯治場として整備が進み、温泉街としての基礎が形成された。一般の農民や町民も農休期などに湯治目的で訪れるようになり、地域の人々に親しまれる温泉地へと定着した。

明治時代以降、交通網の発達とともに湯治場から本格的な観光地・保養地へと変貌を遂げた。旅館や浴場の建設が進み、全国から多くの湯治客や文化人が訪れるようになった。特に与謝野晶子や志賀直哉をはじめとする多くの文人が滞在し、作品の舞台や創作の場として親しまれた。

昭和6年(1931) には、岡山医科大学(後の岡山大学)の三朝温泉医療療養所(岡山大学病院三朝医療センター)が設置された。温泉が持つ高いラドン含有量に着目した科学的・医学的な研究が行われ、ラジウム温泉を活用した療養地としての評価が確立した。

昭和28年(1953) には三朝町が発足し、温泉街を中心に観光施設や街並みの整備がさらに進められた。

写真


碑文

三朝町指定旧跡 株湯

三朝温泉発祥の地

平成22年12月16日指定
三朝町教育委員会

地図

地図

三朝町三朝 付近 [ストリートビュー]