諏訪市温泉発祥の地

すわしおんせんはっしょうのち

諏訪湖 東岸の湖岸公園の一角に、道路側から見るとのっぺらぼうの石碑がある。何だろうと公園側に回ってみると統合記念と刻まれている。

諏訪温泉は、諏訪大社上社から下社にかけて数百の源泉が噴出していた。昭和に入り観光ブームからの需要の高まりから掘削も行われ際限なく採湯があったのか、水位も温度も低下、昭和33年(1958)には自噴泉は無くなっていたという。

このことから、市は昭和48年(1973)から統合事業に着手。その結果、北浜・あやめ園・湯の脇・湖柳・南部・小和田・湯小路の7箇所に統合した。

その後、予備源泉を確保するため、七ッ釜近くでボーリングを行い850m掘削して湧いたのが間欠泉となって今でも利用されている。

写真


碑文

諏訪市温泉統合記念

諏訪市長岩本節治書

統合温泉の沿革

諏訪市温泉の歴史は古く諏訪大社と同じころで神話にも出てくるが鎌倉時代初期には文献にも認められており往還の旅人たちの入浴にも供されていた 明治に至り鉄道の開通とともに温泉地として発展しその頃は市街地一体から自噴しており全国でも屈指の湧出量を誇っていた 昭和二十三年温泉法が施行されたとき湧出口数は五五三個所で湧出量は一分間に約一万リットルであった その後経済の成長に伴い温泉の需要も増えお互いの汲み上げ競爭が激しくなり水位は下がり温度も低下して枯渇する源泉も増えてきた 市は大局的見地に立ち温泉の保護と高度利用を図るためには統合以外に方法が無いことを時所有者の理解と𫝓力を求めるため幾多の困難を克服し十数年の年月を要したがその努力がむくわれ統合が完成したのである 今日では個人の源泉は停止されて統合現千七個所ですべて賄うことができるようになった あまつさえ厳選経営は一切市営となったので湧出量は八割におさえ利用人口は従来の十倍にもなり市街地を始め農村部に至るまで市内一円に配湯ができ市民は等しく天与の恩恵を享受できるようになった この画期的な事業は諏訪市方式として内外の関心を集め国内は勿論国外まで広く知れるところとなった 時あたか省資源時代を迎えこの時宜に適した事業を後世に伝えて保護継承を図るべきとの世論が興り市民全温泉利用者の熱烈な総意による寄附金と市費を投入して諏訪市温泉発祥の地七ッ釜にこの大事業の完成を記念してここに統合温泉公園を築造してその経過を記して永く後世に伝えるものである

昭和五十六年 十一月

地図

地図

間欠泉センター 付近