河鱒 増養殖 発祥の地

かわますぞうようしょくはっしょうのち

日光線 日光駅から西に20km。中禅寺湖の北岸に、さかなと森の観察園(日光市中宮祠2482-3)がある。国道120号線に面する入口から入ると,正面に資料館(旧庁舎)があり,その前に「河鱒増養殖発祥の地」と刻まれた石碑が建っている。

“さかなと森の観察園“は,水産総合研究センターの広報施設で,広大な研究所の敷地の一部を一般に公開していて淡水魚について学ぶことができる。多数の養殖池があり,ヤマメ・イワナ・ヒメマスなどの鮭鱒類やチョウザメなどが養殖されている。

この施設は,明治39年(1906) に“日光養魚場“として設立された。設立当初 この土地は皇室御料地であったため,養魚場は宮内省に所属して“御料局日光養魚場“と呼ばれ,戦後日光の御料地が国の管理に移されたことにより,昭和22年(1947) に“林野庁宇都宮営林署養魚場“となり,やがて水産庁の所管となり,平成13年(2001) からは 独立行政法人水産総合研究センターの所属となった。

施設の一般公開は昭和36年(1961) より行われている。

写真

  • 旧日光養魚場 説明
  • 河鱒増養殖発祥の地
  • 河鱒増養殖発祥の地 背面
  • ハロルドパーレット顕彰碑

碑文

河鱒増養殖
発祥の地

昭和六三年九月二六日

水産庁長官
田中宏尚

旧日光養魚場
NIKKO FISH FARM
1906-1964

 ここは,1906年(明治39年)に旧宮内省(くないしょう)御料局(ごりょうきょく)日光養護場として出発した日本のマスたちのふるさとです。日光養魚場の名は,創設(そうせつ)以来58年間にわたり日本のサケ・マス類種苗(しゅびょう)供給地(きょうきゅうち)として国内はもとより,世界中に知られてきました。
 正面の建物は,旧宮内省時代の1936年(昭和11年)に建てられ,皇族方(こうぞくがた)(ひか)え室として利用されてきた由緒(ゆいしょ)ある建物です。昔(なつ)かしい木製の分銅(ふんどう)上げ下げ窓や,落ち着きのある暖炉(だんろ)などがあり,当時の雰囲気(ふんいき)(しの)ばせてくれます。
 この看板は研究所内地獄(じごく)川岸で生き続けてきたミズナラの木で,推定(すいてい)樹齢(じゅれい)は300年です。1999年に護岸(ごがん)工事の支障木(ししょうぼく)として伐採(ばっさい)されたものです。

In memory of Sir Harold Panlett C.M.G. born 1869 died 1945,formerly of H.B.M. Japan Consular Service who was instrumental in first loringing the Book Trout to Chuzenji from the U.S.A. in 1902.

英國人ハロルド・ バーレット卿は 一八六九年に生れ一九四五年に永眠す
曾て日本駐在英國領事館に在職中一九〇二年初めて川鱒を米國より中禅寺に齎らし日本水産業の発展に貢献す
依って記念の爲此の碑を建つ

地図

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日光市中宮祠 付近 [ストリートビュー]