ええじゃないか 発祥の地

ええじゃないかはっしょうのち

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牟呂八幡宮()の鳥居をくぐり、手水舎と並んでいる赤い鼓楼の足下にある説明札に、ええじゃないか発祥の由来が記されている。

1867年にお札が降り、相談の結果1830年にお祭りが行われたというタイムスリップないわれがあるらしい。

なお、道案内表示等にいちいち表示があるようだが、きりがなさそうなのでひとまず省略することにする。

写真


碑文

ええじゃないか発祥の地の由来

略史

慶応三年(一八六七)七月十四日牟呂村の大西(※牟呂大西町)の多治郎屋敷に外宮のお札が降って、翌日には近くの天王社に伊勢宮のお札が降った。
牟呂村では相談の結果文政十三年(一八三〇)に行われたお鍬祭にならって二夜三日の祭礼を行うこととなった。大西の総代が箱の中に入れたお札を捧げ持ち牟呂八幡宮へ向かった。村の人たちはお揃いの衣装で「三百年は大豊年」の古歌を歌いながら踊りたわむれた行列は所々で手踊りがあった。牟呂八幡宮ではお鍬様をお祭りし、神事を行った。社前に幟を立て人々には樽酒をふるまった。集まった大群集(衆)の「三百年は大豊年」の声はお宮の森にこだました。
その後、牟呂村では各社でお札が降ったこれを機に、お札降りにともなうええじゃないかーのから騒ぎは次第に各地に広がっていった。

※詳しくは社務所にパンフレットがございます

地図

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豊橋市牟呂町 付近