芋煮会 発祥のナントカ(鍋掛松)
いもにかいはっしょうのち
江戸時代、最上川の舟運における主要な船着き場であったこの地域において、舟の運航待ちや積み荷の荷降ろしをする船頭たちが、川岸で鍋料理を作ったことがその始まりとされる。当時、船頭たちは川岸にあった松の枝に鍋を吊るし、地元の小塩集落で採れた里芋と、上方からの積み荷であった乾物の棒鱈を一緒に煮込んで食べた。これが芋棒煮と呼ばれる現在の芋煮の原点である。
この歴史的由来を象徴するのが鍋掛松である。船頭たちが鍋をかけた木として親しまれ、初代の松は大正6年(1917) の台風で倒木したものの、復元の歴史を経て現在は五代目の松が町内に植樹されている。
現在の中山町では、過去・現在・未来3種類の食文化を継承・展開。毎年「元祖全国芋煮会合戦」などを開催して芋煮会発祥の地としての歴史と伝統を現代に伝えている。
【宅配de風物詩】
— コッペdeサンド+昭和基地= (@tiara_bread) June 27, 2019
中山町の鍋掛松。
最上川舟運時代、最上川河畔にあった松に鍋をかけて(こちらの松は復元)船頭たちが里芋と棒鱈を煮込んで食べられていたこちらが芋煮会のルーツと。#山形#芋煮会#中山町#芋煮会発祥の地 pic.twitter.com/WNitEYY2ob
令和5年(2023) に、当発祥の地の名称が商標登録されたので、継続利用のための申請をしない当サイトにおいては表示をひかえることにした。
→ 中山町
https://www.town.nakayama.yamagata.jp/soshiki/sangyou_shinkou/1275.html
写真
碑文
「
鍋掛松 」~芋煮会発祥の地~
最上川舟運が中山町長崎から荒砥まで通じたのは、元禄7年(1694年)のことそれまでは、長崎港が舟運の終点であり、米沢方面へ船荷の積み換えが行われた要地でした。内陸からは米、紅花などを運び、一方京都からの帰り荷には衣料、蚊帳や雛人形など上方文化を積み帰ってきました。
船頭や水夫たちは船着場で風待ちの逗留の間、京都から運ばれた棒だらと地元の里芋を材料に河岸の松の枝に鍋を掛けて煮て食べました。
これが山形名物「芋煮会」の始まりであり、ここに立つ松が「5代目鍋掛松」なのです。
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