日本最初の開港地

にっぽんさいしょのかいこうち

伊豆急下田駅から南に約1Km。稲生沢川が下田港に流れ込む川河口部に下田公園がある。その入口付近に、ペリー提督の像と並んで「日本最初の開港地」と書かれた碑が立っている。

幕末の安政元年(1854) に江戸幕府とペリーとの間で締結された日米和親条約の結果、箱館とともに下田港が開港され、7隻のペリー艦隊はここに入港して、上陸の第一歩を記した。港に近い玉泉寺には領事館が開かれ、タウンゼント・ハリスが駐在することになった。

「日本最初の開港地」碑の裏側には「ペリー上陸の碑」として、次のように書かれている。

ペリー上陸の碑

嘉永七年(安政元年-1854)再来したペリーと幕府の間でもたれた日米和親条約の交渉課程で、開港地として下田港が提示されると、ペリーは調査船を派遣した。下田港が外洋と接近していて安全に容易に近づけること、船の出入りに便利なことなど要求している目的を完全に満たしている点にペリーは満足した。条約締結により即時開港となった下田に、ペリー艦隊が次々と入港した。そして、ペリー艦隊の時乗組員が上陸したのが、下田公園下の鼻黒の地であった。ここを上陸記念の地として、「ペリー上陸の碑」が建てられた。

この記念碑のペリー像は、故村田徳次郎氏の作品であり、記念碑の前の錨は、アメリカ海軍から寄贈されたものである。

写真

  • ペリー像
  • ペリー像
  • ペリー像 台座
  • ペリー像 台座
  • 下田公園
  • ペリー上陸の碑
  • 日本最初の開港地

碑文

日本最初の開港地

ここが,ペリー提督とその乗組員達が最初に上陸した地点です。

Now, you are standing at the first landing point of Commodore Perry and the crews of his squadron.

ペリー艦隊 Perry's squadron

長さ排水量乗組定員
ポーハタン Powhatan77.1m2415t300
ミシシッピ Mississippi68.6m1692t268
マセドニア Macedonian50.0m1726t380
バンダリア Vandalia38.7m770t190
サザンプトン Southampton47.5m567t45
レキシントン Lexington38.7m691t45
サプライ Supply43.0m547t37

地図

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