日本最古の稲作集落

にっぽんさいこのいなさくしゅうらく

鹿児島本線 笹原駅から北に約2km、板付いたづけ遺跡がある。この遺跡は縄文時代から弥生時代にかけての集落跡らしく、その内容から日本最古の稲作集落であったと推定されている。

遺跡公園には、集落の様子を表した模型や、1993年(平成5年)に復元された環濠、水田などを見学できるようになっている。出土品は併設の板付遺跡弥生館でも見学できる。

写真

  • 板付遺跡 入口
  • 板付遺跡弥生館
  • 板付遺跡 復元集落
  • 板付遺跡 案内
  • 板付遺跡弥生館
  • 板付遺跡 復元水田
  • 板付遺跡 案内

碑文

板付遺跡いたづけいせき

板付遺跡は、縄文時代後期から弥生時代にかけて営まれた集落遺跡です。台地上に二重の環濠かんごうによって囲まれた集落と、その周囲に広がる土砂が堆積してできた土地(沖積地ちゅうせきち)に営まれた水田跡で形成されます。水田はあぜで長方形に区画され、集落のある台地の外側には用水路と井堰いせきを設置して水田に水を送り込みました。水田からは人の足跡も発見され、遺跡から出土した土器によって日本最古の稲作集落であったことがわかりました。昭和51年に国史跡に指定されています。

板付遺跡

昭和51年6月21日 国指定史跡
面積 27,796㎡

板付遺跡は、福岡平野のほぼ中央、御笠川と諸岡川に挟まれた標高12mの低い大地を中信として、東西の沖積地を含む広大な弥生時代の遺跡である。日本で稲作が開始された頃の農村集落の代表的な遺跡として有名である。

台地上には幅約4m、深さ約2m、断面がV字形をした溝が、東西約80m、南北約110mの楕円形に巡らされている。(環濠)環の内外には米やその他の食料を貯蔵するための竪穴、(貯蔵穴)が多数掘り込まれている。大地の東西の低位段丘には水路が引き込まれ、完備された水田が開かれ、日本で最も早く稲作農耕が開始されていることがわかった。弥生時代前期末には、北部九州でも有数の集落に発展し、遺跡の東南部の田端地区からは、甕棺の中から細形銅剣、銅矛各3本が発見され、有力者が台頭していたことが推定される。この頃には、環濠周辺だけでなく、北方の板付小学校や南台地にも集落が広がり、貯蔵穴群や墓地が発見されている。このように板付遺跡は集落、墓地、生産地(水田)が一体となって把握される数少ない遺跡で、弥生時代の解明にはかかせない重要な遺跡である。

福岡市教育委員会

地図

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板付3丁目 付近 [ストリートビュー]