扶桑 最初 禅窟

ふそうさいしょぜんくつ

準備中
調査:
2012年2月2013年1月 (写真提供 T.K.さん)

福岡市営地下鉄・祇園駅から北北西に200m。聖福寺の総門の自然石の門柱に「扶桑最初禅窟」と彫り込まれているほか、脇に設置された寺の由来を書いた説明板にも「扶桑ふそう最初さいしょ禅窟ぜんくつ(日本で最初の禅寺)」と書かれている。また、総門から30mほど西にある勅使門の前にも「扶桑最初禅窟」と刻まれた大きな石標も建っている。

後に喫茶の習慣を日本に伝えたことで知られる栄西禅師は、14歳で比叡山延暦寺にて出家得度し、以後延暦寺・伯耆の大山寺などで天台宗を学んだ。27歳の時、形骸化し堕落した日本の天台宗を立て直すべく、南宋に留学。当時南宋では禅宗が繁栄しており、日本仏教の立て直しに活用すべく禅を学ぶ。19年後に再び宋に渡り、臨済宗黄龍派の印可を受け、帰国後は筑前・肥後を中心に布教に努めた。

やがて禅宗が盛んになると、天台宗からの排斥を受け、一時は朝廷より“禅宗停止”を命じられたが、鎌倉幕府が開かれると源頼朝により博多に土地を与えられ、聖福寺を建立。これは日本で最初の禅道場であり、後鳥羽上皇より「扶桑最初禅窟」の扁額を受けた。“扶桑”は“日本”の異称で“日本で最初の禅寺”を意味するもので、この扁額は現在も山門に掲げられているという。

栄西はその後、北条政子の招きで鎌倉の寿福寺の住職を務め、源頼家の庇護を受けて京都に建仁寺を建立し、更に奈良・東大寺の住職を努めた後、1215年に75歳で没した。

【リンク】聖福寺

聖福寺 説明板
説明板 拡大「扶桑最初禅窟」碑山門の扁額「扶桑最初禅窟」

写真


旧URL
http://hamadayori.com/hass-col/religion/Zendera.html

碑文

扶桑ふそう最初さいしょ禅窟ぜんくつ 聖福寺しょうふくじ

 聖福寺は、建久6年(1195)年に将軍源頼朝公よりこの地を賜り、栄西禅師を開山として創建された日本最初の禅寺です。後鳥羽上皇より、日本で最初の禅寺である事を意する「扶桑最初禅窟」の勅号を賜りました。

 境内は、創建当初には方八町(約900m四方)を戴き、塔頭も38院(現在は6院)を数えました。栄西禅師の没後、室町幕府の衰退と戦乱により荒廃しま すが、天正15年(1587年)の太閤町割により寺域も方四町に狭められ、現在に至っております。勅使門、山門、仏殿、方丈が直線状に並んだ禅宗様式の伽 藍配置をとどめる境内は国の史跡に指定されています。

 栄西禅師は我が国の茶祖としても知られ、佐賀県世振山霊仙寺の石上坊や当寺に茶種をまき、ここから京都府の栂尾や宇治にひろめたといわれています。

 歴代の高僧のうち、江戸時代末期の倦厓義梵せんがいぎぼん禅師は「博多の仙厓さん」と親しまれ、洒脱に描く禅画は広く世に知られています。

地図

地図

福岡市博多区御供所町 聖福寺 付近 [ストリートビュー]