甑島 念仏 発祥之地

こしきじまねんぶつはっしょうのち

鹿児島県西部の離島、下甑しもこしき島の北部にある藺落いおとしの丘(鹿島町藺牟田)の断崖上に碑が建つ。

江戸時代に薩摩藩が断行した激烈な一向宗(浄土真宗)禁制下において、信仰を密かに守り続けた「かくれ念仏」の歴史に直接由来する。

薩摩藩では真宗の信仰が厳しく取り締まられ、発覚した場合には過酷な処罰が科された。そのような圧政下において、甑島の信徒たちは監視の目を逃れるため、集落から離れた断崖や海岸線の岩場にひそかに集い、法座や念仏を執り行った。

中でも鹿島町の藺落の地は、東シナ海を望む絶壁に位置し、信徒たちが集う密かな聖地となった。年に2回訪れる彼岸の時期になると、信徒たちは密かにこの地に集結した。大海原の彼方へ沈みゆく夕日の光景を、西方の極楽浄土の入口たる「桜門」に入る阿弥陀仏の姿になぞらえ、沈む夕日に向かって深く手を合わせながら念仏を唱えたとされる。

みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”予備.pdf

写真


碑文

甑島 念佛發祥之地

東本願寺法主 大谷光暢

念佛発祥の地

鹿島村指定文化財(民俗第一号)

慶長二年(一五九七年)二月、薩摩藩は一向宗禁制令を下し、以後は厳禁した。寛文十二年(一六七二年)頃、鹿島に往来していた上方の伊平が、ひそかに信徒の依頼を受け、ご本尊を奉迎した。
信徒は、役人の目を盗んで拝み、信仰を深くし、春秋の彼岸の中日には、藺落の丘に集まり、西海に沈む夕陽を極楽浄土の桜門に入る佛になぞらえて拝んだ。この風習は代々伝えられて現在に至っている。

藺落いおとしの丘に登りてお彼岸の
 夕陽を拝む念仏の門徒ひと

この藺落浦はウミネコの繁殖地で、四月下旬から六月末まで、屹立する断崖に営巣したウミネコが、数百羽乱舞する様は、一大景観であります。

平成十六年二月 鹿島村教育委員会

地図

地図

薩摩川内市鹿島町藺牟田 付近 [ストリートビュー]