甑島 念仏 発祥之地
こしきじまねんぶつはっしょうのち
鹿児島県西部の離島、
江戸時代に薩摩藩が断行した激烈な一向宗(浄土真宗)禁制下において、信仰を密かに守り続けた「かくれ念仏」の歴史に直接由来する。
薩摩藩では真宗の信仰が厳しく取り締まられ、発覚した場合には過酷な処罰が科された。そのような圧政下において、甑島の信徒たちは監視の目を逃れるため、集落から離れた断崖や海岸線の岩場にひそかに集い、法座や念仏を執り行った。
中でも鹿島町の藺落の地は、東シナ海を望む絶壁に位置し、信徒たちが集う密かな聖地となった。年に2回訪れる彼岸の時期になると、信徒たちは密かにこの地に集結した。大海原の彼方へ沈みゆく夕日の光景を、西方の極楽浄土の入口たる「桜門」に入る阿弥陀仏の姿になぞらえ、沈む夕日に向かって深く手を合わせながら念仏を唱えたとされる。
みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”(予備.pdf)
下甑島鹿島断崖上の藺落にある隠れ念仏発祥の地。
— Abbey (@templeple) May 12, 2022
ここから西の海に沈む夕陽を西方極楽浄土に見立て拝む風習は現在まで代々伝えられると説明がある。
薩摩藩は1597~1876年まで浄土真宗を禁止。苛酷な弾圧の中で地下組織を作り信仰を守り通した一向宗の歴史は、隠れキリシタンと共通点が多い pic.twitter.com/QAr6XNJudt
写真
碑文
甑島 念佛發祥之地
東本願寺法主 大谷光暢
念佛発祥の地
鹿島村指定文化財(民俗第一号)
慶長二年(一五九七年)二月、薩摩藩は一向宗禁制令を下し、以後は厳禁した。寛文十二年(一六七二年)頃、鹿島に往来していた上方の伊平が、ひそかに信徒の依頼を受け、ご本尊を奉迎した。
信徒は、役人の目を盗んで拝み、信仰を深くし、春秋の彼岸の中日には、藺落の丘に集まり、西海に沈む夕陽を極楽浄土の桜門に入る佛になぞらえて拝んだ。この風習は代々伝えられて現在に至っている。
藺落 の丘に登りてお彼岸の
夕陽を拝む念仏の門徒 この藺落浦はウミネコの繁殖地で、四月下旬から六月末まで、屹立する断崖に営巣したウミネコが、数百羽乱舞する様は、一大景観であります。
平成十六年二月 鹿島村教育委員会
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