大名行列 発祥之地

だいみょうぎょうれつはっしょうのち

 
撮影:
2015年1月(写真 T.K.さん)
2015年3月(写真 T.H.さん)
2021年10月

富士急大月線 谷村町やむらまち駅から東南東に300m。金毘羅神社(都留市上谷3丁目6-23)の参道入り口に「大名行列発祥の地」と刻まれた黒い石碑が建っている。

ここで言う「大名行列」は、山梨県都留市で行われる“八朔祭”の行事の一つとして実施されている大名行列のことで、言うまでもないが 江戸幕府が大名に義務付けた年に1回の参勤交代としての大名行列を指しているわけではない。

八朔祭は都留市四日市場にある生出(おいで)神社の例祭で、この祭礼の付祭(つけまつり)として行われる。“八朔”の名前の通り、本来は旧暦の8月1日に行われていたが、現在は月遅れの9月1日に実施されている。

伝承によると、当地の谷村藩の領主 秋元氏が、宝永元年(1704) に川越藩に転封になった際に、行列の道具一式を下天神町に置き土産として残していったのが起源になったという。発祥碑が生出神社のある四日市場ではなく上谷(旧・下天神町)にあるのは、そういった由来からきているのだろう。

このお祭りは現在では、富士吉田の火祭り・上野原の牛倉神社例大祭と並んで、郡内(山梨東部)の三大祭礼の一つに数えられており、8月31日の宵祭りで豪華絢爛な4つの大きな屋台(山車)が町中を巡行し、 9月1日の本祭では 武士や(やっこ)姿の赤熊(しゃぐま)・槍組・殿様・姫様などに扮した 120人前後の一般の人たちが行列を行う。

奉行の「下にぃ~下にぃ!」の声と赤熊の「よいやまかよい」の掛け声とともに、奴は左右にステップを踏みながら、殿様は馬に乗り、きらびやかな衣装の姫様はお供がさす和傘の下を歩く。

ちなみに、大名行列は“奴振り”“奴行列”“奴道中”など種々の名前で呼ばれ、全国各地の祭礼の際に行列として見ることができ、それらの行事は大小合わせて300か所もあると言われる。

早馬町屋台会館(都留市上谷1丁目)前の説明板を参考に示す。

写真

  • 大名行列発祥之地
  • 大名行列発祥之地
  • 大名行列発祥之地
  • 大名行列発祥之地 碑文
  • 大名行列発祥之地
  • 早馬町屋台会館 説明
  • 早馬町屋台会館
  • 大名行列発祥之地(2021)
  • 大名行列発祥之地(2021)
  • 大名行列発祥之地(2021)
  • 大名行列発祥之地(2021) 碑陰

碑文

八朔祭礼
大名行列発祥之地

秋本和朝謹書

下天神町ガ八朔祭ノ付祭リトシテ繰リ出シタル大名行列ハ江戸時代ヨリ続ク伝統行事ニシテ大名秋本候在城ノ地ニ因ムモノナリ 依ッテ此ノ由緒ヲ永ク後世ニ伝エルベク碑ヲ建立ス

平成十三年九月一日

都留市下天神町大名行列保存会
建立

有形文化財
早馬町の屋台

都留市指定文化財 第四五号

四日市場生出(おいで)神社の例祭,八朔祭は郡内三大祭りの一つとして,毎年九月一日(古くは旧暦八月一日)に行われてきた
この祭りには,神輿の巡幸に供奉して,付祭りとして大名行列と共に,各町の屋台が繰り出されて,その派手な美しさを競い合った
早馬町屋台の創建年代は詳らかではないが,他町の屋台や飾幕の製作年代等からみて文化年間(1804-17)と推定され,その後幾度かの補修が加えられてきた。
屋台の様式・構造は,梁間一間,桁行二間造り,屋根は大唐破風平屋根,棟は大棟で鳳凰の懸魚(けぎょ)を付している。躯体は,舞台前部と楽屋後部の二間から構成され,台輪の上舞台の部分に擬宝珠高欄をめぐらしている。更に下部車輪構造は,車軸の中心棒に梶棒がかさねられる古形式の梶構造を残している。車は内輪(古くは外輪)四つ車形式,側面の腰に格子枠を敷設している。
飾幕は,「牧童牛の背に笛を吹く」(伝 葛飾北斎・落款なし)の後幕が楽屋の三方を囲むように掛けられ,中幕には「裸馬群像」(柳文鳥・南柳斎の落款),舞台の上部に「雲龍」の水引幕,大輪の部分には「百足(むかで)」の泥幕など飾幕を中心とした舞台美を構成している。
この屋台は,昭和のはじめまで使われていたが,以後解体保存されていたものを,早馬町の人々の手によって補修復元され,平成元年に完成をみたものである。
文化財を大切にしましょう

平成八年三月一二日

都留市教育委員会

地図

地図

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