南越谷 阿波踊り 発祥の由来

みなみこしがやあわおどりはっしょうのゆらい

武蔵野線 南越谷駅、東武伊勢崎線 新越谷駅から 東に200m。 ポラス本社前に石碑が建つ。 越谷市で阿波踊りが始まったのは およそ20年前。毎年8月下旬に行われる。 見物客は50万人を越えると言われ, 踊り手も 70連, 5000人にもなり, 越谷市の一大行事になっている。

全国に阿波踊りを定例の行事として行っているところは多いが, ここは 本場徳島と 東京 高円寺に次いで規模が大きく, “三大阿波踊り”とも呼ばれる。

南越谷駅周辺の街灯のポールには 阿波踊りの飾り板がついている。

写真

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碑文

南越谷阿波踊り 発祥の由来

 阿波踊りは, 元来四国の徳島が発祥の地で, その起原は諸説 ありますが, 一説には, 天正十五年(一五八七)に阿波一国(現 徳島県)を与えられた蜂須賀家政公が徳島城を築城した際, そ の落成祝賀行事に城下の人々が踊ったのが始まりといわれていま す。
 その阿波踊りを南越谷にと提唱したのが, 徳島県出身で越谷 市に本社を置く事業家の中内俊三氏でした。昭和五十八年(一九八三), 事業を営むものとして地元への恩返しを常に考えていた 中内氏は, 地域の人々にふるさと意識を呼び起こし, 地元越谷 が誇る“文化”として行きたいと, 郷土徳島の誇る“文化”正調阿 波踊りの開催に着目したのです。
 中内氏の呼びかけは, さまざまな関係者のご賛同, ご尽力を頂くことになりました。まず, 地元南越谷商店会・自治会・婦人会の 方々の多大なご助力が, 地域の人々の御理解とご協力を得るこ ととなり, 越谷市・警察の開催承認へと繋がっていきました。そして, 本場徳島の阿波おどり振興協会の方々による開催の全面的な ご指導は, 実現を大きく前進させることになりました。更に, 中 内氏が営む事業の協力会を始めとする取引会社の方々のご支 援により, 運営は可能なものとなっていきました。
 そうした多くの関係者のご尽力により, 提唱から二年後の昭和六十年(一九八五)八月二十四日, 第1回南越谷阿波踊りが三万人の人出の中, 熱い産声をあげたのです。踊る楽しさと喜びは 多くの人々の共感を呼び, 踊りの輪は回を重ねる毎に大きく広が っていきました。そして今では, 延べ一万人に及ぶ開催全般のご協 力者のもと, 本場徳島・東京高円寺と併せて日本三大阿波踊 りといわれる地元の祭りに発展し, 夏の越谷に欠かせない風物 詩となりました。
 南越谷阿波踊りが今後益々地域の多くの人々を巻き込んで 盛大となり, 郷土越谷が誇る“文化”として永続していくことを 願いつつ, 平成十六年(二〇〇四)の第二十回開催記念として 本由来をここに刻みます。

平成十六年八月吉日

寄贈
ポラスグループ協力会

地図

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越谷市南越谷1丁目 付近 [ストリートビュー]