朴ノ木沢 念仏剣舞 発祥之地
ほうのきざわねんぶつけんまいはっしょうのち
東北本線 陸中折居駅から西に10km。小山西幼稚園から1km程 西の道路沿いに石碑が建っている。
「朴ノ木沢念仏剣舞」の起源は,鎌倉時代の奥州平泉高舘とされている。源頼朝の猜疑と背信の将藤原泰衡によって無念の最期を遂げた源義経主従の亡霊を鎮めるために始められたと言われ 高館だけで踊られていたが,文久3年(1863) になって朴の木沢の惣五郎に受け継がれた。
平成5年(1993) に国の無形民俗文化財の指定を受けている。
踊りの内容は 鶏の羽や馬の尻尾で作ったシャグマ(かぶりもの)をつけ,忿怒面を掛けたイカモノ8名程度,カッカタ・サルコなどと称される者等の踊り手が,太鼓・笛・鉦の囃子方の演奏で踊る。演目は“一番庭”“大念仏”などの全員が踊るもの,“一人イカモノ”“三人イカモノ”など少人数で踊るものなど多様である。“一番庭”(本剣舞)は踊り手13人に猿面のカッカタ(釈迦の化身)1人,少女の胴取り2人がつき,武者の亡霊が荒れ狂い やがてカッカタによって鎮められるストーリーが展開される。
本来は祖先や死者の供養の為にお墓や民家の庭先で踊られたが,近年はその習慣が薄れて 神社の祭礼などで境内で踊られることが多くなった。
なお“剣舞”という名称は一般には“けんばい”と読まれるようだが,発祥碑のそばにある説明板には“けんまい”という振り仮名がついている。
位置関係の表記を改めた(2019)
写真
碑文
朴ノ木沢念仏剣舞発祥之地
胆沢町長 千葉長一 書
平成二年三月吉日建立
歴代師匠(略)
建立者(略)
由来記
朴ノ木沢念仏剣舞は今から二百年以上も前の寛政八年,堀切村伊勢堂の平助が都鳥村(南都田)の長八より伝授されたのが始まりである。
その後,文久三年朴ノ木沢の惣五郎の献身的な働きによって平泉の高館物怪を継承して今日に至っている。
平成五年,国の重要無形民俗文化財として指定を受けている。平成十五年 保存会一同
朴木沢 念仏剣舞 発祥 の地 「
由来 記」にあるとおり,朴木沢念仏剣舞は,寛政8年(1796)に,ここで始められた。
210年もの間,その歴史と伝承 を受け継 ぎ,古式 の舞が認 められて,国の重要無形民俗文化財として指定を受けた。私達の自慢 と誇 りの舞がここ高橋家から始まった。