手筒花火 発祥之地

てづつはなびはっしょうのち

豊橋市役所から 国道1号線を横切って 西に入ると, すぐ左側に 吉田神社がある。この参道の中央付近に 記念碑が建っている。また神社の拝殿東側にある 裏門には, 発祥の地の看板も掲げられている。

毎年7月に行われる 祇園祭の夜には, 吉田神社の境内で 手筒花火が盛大に打ち上げられる。

写真

  • 手筒花火発祥之地 東門看板
  • 手筒花火発祥之地
  • 手筒花火発祥之地
  • 手筒花火発祥之地 背面
  • 手筒花火発祥之地 背面 碑文
  • 手筒花火
  • 手筒花火
  • 手筒花火

碑文

手筒花火発祥之地記念碑

轟音と火柱 三河っ子の熱き血潮を沸き立たせる手筒花火こそは全国に誇る 東三河の伝承民族文化の一つです
こゝ吉田神社に残る記録「三河国古老伝」に「永禄元年(1558)天王祭 礼祀ノ花火ト云フ事始メル」又「吉田神社略記」に「花火ノ創始ハ羽田吉田綜 録ニ永禄三申庚(1560)今川義元公吉田城城代大原肥前守知尚公花火ヲ 始ムトアリ 花火ノ尤古ヨリ用ヒラレシハ流星 手筒トス然レドモ其ノ大ナル 者ナシ 次デ建物(仕掛花火)綱火等用ヒラルルモ亦然リ 建物ノ巨大トナリ シハ元禄十三年(1700)ニシテ手筒ノ雄大トナリシハ正徳元年(1711) ナリ云々」とあります
花火は戦国時代新兵器として開発されると共に氏子により五穀豊穣 無病息 災 家運隆盛 武運長久を神に念じ若者の手造により大人への門出 勇気の証 しとして発達しその製造放揚の技術が脈々と今日に伝承されて参りました  この度手筒花火と花火文化を愛する東三河の皆様のご支援ご協賛により手筒 花火発祥の歴史を誤りなく後世に伝へたく其の記念碑と標示塔をゆかりの地 吉田神社境内に建立し愈々その発展を誓うものであります

平成五年六月吉日

雄々しさは 手筒花火を横抱へ   麦生

手筒花火発祥之地記念碑建立委員会
協賛
豊橋祇園祭奉賛会
愛知県煙火組合
豊橋煙火株式会社
手筒花火を愛する市民の会
後援
豊橋市観光協会
(社) 豊橋文化協会

地図

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