メイゾン鴻乃巣 創業の地

めいぞんこうのすそうぎょうのち

明治43年、横浜のホテル西洋料理の修行をした奥田駒蔵が開いた東京で最初の西洋料理店

写真


碑文

メイゾン鴻乃巣こうのす創業の地

所在地 日本橋小網町九−九

メイゾン鴻乃巣は、明治四十三年(一九一〇)夏、奥田駒蔵こまぞう(一八八二〜一九二五)、京都府出身)が日本橋小網町二丁目河岸地(鎧河岸)の鎧橋の袂において開業したバーを兼ねた西洋料理店でした。駒蔵は横浜のホテルでフランス料理の修業をし洋行の経験をもったといわれます。「西洋料理 鴻乃巣 KONOSU,FIRST CLASS BAR」の看板を掲げ、「メイゾン鴻乃巣」と名乗りました。
三間間口の一階は西洋風のバー、二階は畳敷きの部屋で窓からは日本橋川が望め、魚河岸などに行き交う小舟が浮かび、水鳥が飛び交い、江戸橋あたりには江戸の面影を残す列蔵が広がっていました。夜は黒く澱んだ川面に映る人家の明りは青白く、赤く、あるいは黄味がかった灯影を映していました。
その頃の若い詩人や作家や画家の間に、西洋の新しい風潮と江戸趣味が風靡していました。メイゾン鴻乃巣はそんな芸術家たちの心をとらえ、かれらの溜まり場となりました。
ここに集まった人々は、木下杢太郎きのしたもくたろう高村光太郎たかむらこうたろう吉井勇よしいいさむ武者小路実篤むしゃのこうじさねあつ志賀直哉しがなおや里見弴さとみとん郡虎彦こおりとらひこ萱野二十一かやのにじゅういち)、永井荷風ながいかふう三木露風みきろふう小山内薫おさないかおる谷崎潤一郎たにざきじゅんいちろう市川猿之助いちかわえんのすけ上田敏うえだびん石井柏亭いしいはくてい山本鼎やまもとかなえなど、『スバル』、『白樺』、『三田文学』、『新思潮』、そして「パンの会」などに拠った人々たちでした。
木下杢太郎は、メイゾン鴻乃巣の情景を詠んだ詩「該里酒セリーシュ」を駒蔵に献呈しています。
メイゾン鴻乃巣は日本近代文学史の一ページを飾る場所でした。
メイゾン鴻乃巣は大正三年(一九一四)春頃までこの地で営業を続け、以後、日本橋区通一丁目食傷新道しょくしょうしんみち(現、日本橋一丁目)、さらに京橋区南伝馬町三丁目(現、京橋二丁目)へ移転し、大正十四年十月に閉店しました。

平成二十六年三月

中央区教育委員会

地図

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日本橋小網町 付近 [ストリートビュー]