武蔵 武士 発祥之地
むさしぶしはっしょうのち
高崎線 北鴻巣駅から県道365号を南東に約1km、箕田氷川八幡神社境内に箕田碑があり、説明する駒札が付随する。
- 古社への誘い 神社散策記
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写真
碑文
鴻巣市指定金石文
箕田碑
昭和三十六年七月十一日指定
箕田は武蔵武士発祥の地で、千年程前の平安時代に多くすぐれた武人が住んでこの地方を開発経営した。
源経基 (六孫王 清和源氏)は文武両道に秀で、武蔵介として当地方を治め源氏繁栄の礎を築いた。その館跡は大間の城山にあったと伝えられ、土塁・物見台跡などが見られる(県史跡)。源仕 (嵯峨源氏)は箕田に住んだので箕田氏と称し、知勇兼備よく経基を助けて大功があった。その孫綱(渡辺綱)は頼光四天王の随一として剛勇の誉れが高かった。箕田氏三代(仕 ・宛 ・綱 )の館跡は満願寺の南側の地と伝えられている(県旧跡)。
箕田碑はこの歴史を永く伝えようとしたものであり指月の撰文、維碩の筆による碑文がある。裏の碑便は約二〇年後、安永七年(一七七八)に刻まれた和文体の碑文である。初めに渡辺綱の辞世
世を経ても わけこし草のゆかりあらば
あとをたづねよ むさしののはらを掲げ、次に芭蕉・鳥酔の句を記して源の経基・源仕・渡辺綱らの文武の誉れをしのんでいる。
鳥酔の門人が加舎白雄 (志良雄坊 )であり、白雄の門人が当地の桃源庵文郷 である。たまたま白雄が文郷を尋ねて滞在した折に刻んだものと思われる。昭和六十二年三月
鴻巣市教育委員会
箕田に残る歴史と昔話
嵯峨天皇の流れを汲む源仕(みなもとのつこう)は、安達郡箕田郷に土着して箕田源氏の祖となりました。
仕の子源宛(みなもとのあたる)は「今昔物語集」に平良文との合戦の説話が残されています。
仕の孫で在り宛の子である渡辺綱(わたなべのつな)はこの地で生まれ、摂津国渡辺(大阪市渡辺)で養育されたことから、渡辺の姓を名乗りました。
渡辺綱は武勇に優れ、源頼光(みなもとのよりみつ)に使える四天王の筆頭と呼ばれ、鬼や妖怪退治にまつわる様々な説話が伝えられています。
渡辺綱が祖父と父を弔って建立したと伝えられる宝持寺には、全国から渡辺姓の皆さんが訪れています。
また、氷川八幡神社境内には宝暦九年(一七五九年)に建立された「箕田碑」があり、箕田源氏の伝承や渡辺綱の辞世などのほか、この地が武蔵武士発祥の地であることが記されています。