日本の 製油 発祥の地

にっぽんのせいゆはっしょうのち

信越本線 茨目駅から西に1km。柏崎半田郵便局と半田小学校のほぼ中間に,「市指定文化財・史跡・わが国製油発祥の地」という柏崎市の建てた標柱と,「日本の製油発祥の地」という柏崎青年会議所の建てた“まちしるべ”碑,さらにその横には「越後柏崎七街道12・日本の製油発祥の地・綾子舞街道」という看板が並んで建っている。

日本で初めて製油が行われたのは,嘉永5年(1852)。この地 半田村(現・柏崎市)で,阿部新左衛門が実弟の西村輝一と協力し,失敗を重ねながらも分溜に成功した。その方法は“ランビキ(蘭引)法”と呼ばれる,焼酎の蒸留法を工夫した三斗釜を用いた大変独創的なものであった。
これにより,この地は「製油発祥の地」とされ,柏崎市の史跡として指定を受けている。

なお,京都府大山崎町にも「本邦製油発祥地」という場所があるが,大山崎町は植物油の製油,柏崎市は鉱物油の製油技術の発祥を示している。

写真

  • 製油発祥の地
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碑文

市指定文化財・史跡 わが国製油発祥の地

昭和四十八年十二月一日指定 柏崎市教育委員会

Since 1998      まちしるべ No.10

日本の製油発祥の地

日本書紀に「越の国」の「燃える水」の記述があるように私たちの地域は石油と深いかかわりを持ち,かつて日本石油の本社がおかれるなど,近代産業の基礎をつくりました。
日本で初めて製油が行われたのは,1852年のことです。ここ半田・阿部家の地内で,阿部新左衛門が実弟の西村輝一と協力し,失敗を重ねながらも分溜に成功しました。その方法は焼酎蒸留法を工夫した三斗釜を用いる独創的なもので,柏崎人のフロンティア精神を見ることができます。

社団法人 柏崎青年会議所
2000

地図

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柏崎市朝日が丘 付近 [ストリートビュー]