沖縄 産業開発 青年隊 発祥の地

おきなわさんぎょうかいはつせいねんたいはっしょうのち

 
調査:
2019年4月(写真 まさ・なち さん)

名護市立東江中学校の南側、小さな川をはさんだ小公園に、石碑が設置されている。

現在は東村平良の施設において合宿生活を通して自立・開拓精神・人間力を身につける機関となった、沖縄産業開発青年協会の礎となったのが青年隊だった。

第二次世界大戦において日本国内の唯一の地上戦場となった沖縄では、3か月以上にも及ぶ戦闘で多くの人民を失い、田畑も住居もすべてを失うこととなった。敗戦後は住民は占領軍の指示で収容所での生活となった。その後、地域への復帰が認められてもなお広大な耕地が開放されることがなく、しかし疎開者や戦闘員が帰還し、人口過多で農業では食うに困る状況となった。

また沖縄以外の各府県においても、農地に対して人口が過剰となり、農村二男三男対策は最大の課題、アメリカにおけるCCC運動(民間市源開発保全隊Civil Conservation Corps)を参考にして、産業開発青年隊の創設をはかることになる。

昭和23年(1948)12月、本島内各市町村青年会の代表が与那原小学校に集まり、沖青連結成大会が開かれ、沖縄青年連合会が誕生。昭和30年4月28日には、自主的な運営により、名護町にあった農業指導研究所名護支場構内の古ぼけた2棟のコンセット(米軍の組み立て式かまぼこ型兵舎)を借り受けて青年隊を設置。琉球政府や海外協会、建設業協会、その他関係団体等の協力を得て、第1回産業開発青年隊員の募集を行ったところ、20名の採用に対し、教員や政府職員、市町村役所職員、青年幹部等62名の応募があり、その中から厳選して25名を採用した。

写真

  • 沖縄産業開発青年隊発祥の地
  • 沖縄産業開発青年隊発祥の地
  • 沖縄産業開発青年隊発祥の地 碑文
  • 沖縄産業開発青年隊発祥の地 碑文

碑文

沖縄産業開発青年隊
発祥の地

沿革

沖縄産業開発青年隊は、戦後の混沌とした社会情勢の中で、青年の自立対策として当時の沖縄青年連合会が創設しました。昭和三十年四月二十八日この地で誕生。
以後 訓練所を大宜味村大保、大里村大城、今帰仁村呉我山、竹富町西表島等と設営してきましたが昭和三十五年東村平良山に広大な用地のある恒久訓練所を設置し、現在に至っています。
この名護キャンプの修了者は男子三〇四名女子六十五名で男子修了者のほとんどは南米各地へ雄飛し、かの地にしっかりと根をおろしています。

平成七年十一月二十二日建立

揮毫
沖縄県知事 大田昌秀
建立者
社団法人沖縄産業開発青年協会
建立協力
雄飛会[青年隊修了者の会]

地図

地図

名護市東江2丁目 付近 [ストリートビュー]