内山紙 発祥之地

うちやまがみはっしょうのち

上越新幹線・飯山線 飯山駅から北東に約7km、龍光寺(下高井郡木島平村穂高1282)は、清水が湧き出ることで名が知れている。この清水の池のすぐ奥に自然石の石碑と黒い石版が設置されている。

ここの豊富な清水を利用して、萩原喜右衛門が紙漉きを始めたことが内山紙の始まりとされている。洋紙の登場で産業としての紙漉きはすっかり衰えてしまったが、伝統工芸として今でも続けられている。

訪問日は晴天で気温も高く、多くの人が清水を汲みに訪れていた。

写真

  • 内山紙発祥之地
  • 内山紙発祥之地 副碑
  • 内山紙発祥之地 副碑 碑陰
  • 内山紙発祥之地 背面
  • 内山紙発祥之地 碑陰

碑文

内山紙発祥之地

内山紙は、寛文元年(1661)、萩原喜右衛門が紙漉き法を覚えて龍光寺清水を利用して始めたことに由来する。
そしてこの地名を採って内山和紙と名付けた。内山紙は楮だけを使い雪にさらして真白に仕上げる。
光線の透りがよく紙質は強靱である。
その後改良を加え、和紙づくりはこの地域の一大産業にまで発展した。
川端康成先生が上梓した『牧歌』の中には、内山紙の生業について、ふれられている。現在では内山和紙の名称も全国に知られ伝統工芸品として通産省の梓指定を受けている。その歴史ある内山紙の発祥之地を後世に伝えるため、萩原喜右衛門の子孫、萩原宣章・優子夫妻が発起人となり、区民の協力を得てこの記念碑を建立する。記念碑の揮毫は中野市谷巌寺住職萩原宣章師によるものである。

平成五年八月八日

和紙の里
内山紙発祥の地記念碑建立寄附者

(芳名略)

一九九三年八月八日

地図

地図

下高井郡木島平村穂高 付近 [ストリートビュー]