産業教育 発祥之地

さんぎょうきょういくはっしょうのち

八高線 児玉駅から 南西に約300m。 児玉公民館の前に碑が建つ。

この地は もと埼玉県立児玉農工高等学校があった場所で, さらにその起源をたどれば 1884年(明治17)年に「競進社養蚕伝習所」が開設され 養蚕技術の教育が行われた場所である。 その歴史によって 産業教育発祥の地とされている。

ここから 北西に100m離れた 町民体育館の北側に隣接して, 現在も「競進社模範蚕室」が保存されている。

競進社は、2014(平成26年)に世界遺産登録された高山社と関係が深く、県を跨いだために役人根性で完全にスルーされているが、本来遺産として保護するのであれば競進社の施設も枠組みに入れるべきともみられる。

農工高校は1995年(平成7年)に児玉白楊高校と名を変え、実業高校として現在は本庄市児玉町金屋にある。児玉白揚高校テニスコートの県道に面したフェンスには、高山社の兄弟校 競進社発祥を示す横断幕が掲げられている。

写真

  • 産業教育発祥の地
  • 産業教育発祥の地
  • 産業教育発祥の地
  • 産業教育発祥の地
  • 模範蚕室
  • 模範蚕室
  • 競進社発祥の学校

碑文

産業教育発祥之地

埼玉県立児玉農工高等学校教諭 桜井盛司撰
同              猪野 徹書

 明治17年(1884年) 木村九蔵は この地に競進社養蚕伝習所を開設, 養蚕技術の研究と普及に務めた。これが本県における産業教育の始まりと されている。さらに, この競進社養蚕伝習所は, 明治32年(1899年) 競進社養蚕学校として発足した。これは, 本県最初の農学校の誕生であった。 その後競進社養蚕学校は, 競進社実業学校, 児玉農学校, 学校法人児玉農業高等学校と校名を改め, 昭和47年(1972年) 県に移管され, 埼玉県立児玉農工高等学校となり, 昭和49年(1974年) 児玉町金屋へ移転した。 同校の創立90周年を機会に, この地を本県の蚕業教育発祥の地として, 地域社会, 地域住民の誇りをこめ, この記念碑を建立するものである。

平成元年11月22日

児玉町
埼玉県立児玉農工高等学校

地図

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