薩摩 琵琶 発祥之地
さつまびわはっしょうのち
薩摩半島を加世田市の方から国道270号線を北上し、吹上中学校のあたりから狭い道に入り込む。地理をよく知らない「よそ者」が、ウロウロしながらもかろうじて辿り着くことができたのは、吹上町が要所要所に設置している「中島常楽院」の案内標識のおかげである。
狭い道のどん詰まりに、小さな寺がある。「中島常楽院と妙音十二楽」という説明板があって、ようやくここが目的地だと分かる。寺の境内奥の方に、50cmほどの高さの石碑に「薩摩琵琶発祥之地」と書かれている。
薩摩琵琶の由来については説明を見ていただくとして、寺の本堂はかなり古くて荒れており、横に建つ庫裏(?)も戸が開け放たれて落ち葉が室内に積もるほど吹き込んでいた。たまたま一時的にこの樣になったのか事情はわからないが、ここで伝統のある「妙音十二楽」が演奏されるとは信じられないような状態だった。
ここを訪れた2004年10月の1週間前に、台風21号が鹿児島県串木野市に上陸し日本列島を縦断していった。鹿児島市で最大瞬間風速52mを超えるなど各地に大きな被害を残した。その影響で、ここに至るまでの道路も立木が倒れ込んでいたりして、かなり荒れていた。寺が荒れていたのもそのせいかもしれない。
吹上町は2005年5月1日に、伊集院町・東市来町・日吉町と合併し、日置市となった。
写真
碑文
薩摩琵琶発祥之地
常楽院四十七世
大僧正柳田耕雲建立平成5年10月12日
中島常楽院と妙音十二楽
建久7年(1196)島津忠久は宝山検校を伴って薩摩に下ったと伝えられる。検校は天台宗常楽院(京都)の19代住職で島津氏の祈とう僧として本尊妙音天を捧持しこの地に常楽院を建立した。
ここは昔、湖であったが検校の祈とうで水が枯れて平地になったと伝えられている。検校をはじめ歴代の住職は各地で島津氏の威徳高揚につとめ琵琶を吟弾して仏法を広めた。このとき弾奏された琵琶が後年薩摩琵琶に発展していったものである。
今でも毎年10月12日に県内外から僧侶が集まり妙音十二楽を演奏する。
常楽院跡 昭和29年3月22日県文化財指定
妙音十二楽 昭和46年5月31日県文化財指定吹上町教育委員会