土佐 サンゴ 発祥の地
とささんごはっしょうのち
土佐くろしお鉄道 四万十駅から 南に20km。四国最南端 足摺岬から国道321号 足摺サニーロードを西に向かい, “小才角港”のすぐ西 200m, “小才角休憩所”に サンゴを抱えた少女の像「さんご採取発祥記念像」と 「土佐サンゴ発祥の地」の説明板が建っている。
サンゴは, クラゲやイソギンチャクと同じ刺胞動物の仲間(サンゴ虫)が, 石灰質の固い骨格を発達させたもの。 硬く 宝石として珍重されるものや, 比較的軟らかく サンゴ礁を形成するものなどの種類がある。
宝石になるものが“珊瑚”と書かれる。3月の誕生石。宝石サンゴは 数百メートル~数千メートルの深海に生息し, 樹枝状の形を作る。 1センチ成長するのに 5~10年もかかると言われる。
土佐沖のサンゴは, 下記の説明にあるように, 江戸時代に最初に発見されたが, 土佐藩は 明治になるまで その存在は秘密にした。 明治以降は 乱獲により ほとんど絶滅状態となった。この地より 1.2kmほど東の 土佐清水市竜串 には“サンゴ博物館”がある。
写真
碑文
土佐サンゴ発祥の地
ここ月灘沖を含めた渭南海岸には, 徳川時代からサンゴのあることがわかっていました。一人の漁師が桃色サンゴを釣り上げた偶然が日本サンゴ史の始まりとされて います。
土佐藩では厳重に採取を禁止し, その所在を口にすることを固く禁じました。このことは今なお残る童唄お月さんももいろ だれんいうた あまんいうた
あまのくちひきさけ
(注:だれん=誰が いうた=言った あまん=あま)にうかがい知ることができます。この唄は口をとざされた漁師や子供たちによって唄いつがれたものでここ小才角はこの唄の故郷であります。
明治維新後この禁令は解かれ, 明治七年にこの付近の海域ではじめてサンゴ船による採取が行なわれその後は急速に発展し, 明治三十年代には七百隻の採取船が出漁し, 愛媛県からも多数の船が沖の島周辺に来て採取しました。乱獲の結果資源が涸渇, ついに大正十二年頃には ほとんど中止の状態となりました。
その後, 五島, 台湾, 奄美大島, 小笠原諸島周辺やミッドウェー沖にて多くとれ, 当地方では今もなお, その 加工が盛んです。最近また月灘沖の赤サンゴが大変注目されています。