バナナの 叩き売り 発祥の地

ばななのたたきうりはっしょうのち

鹿児島本線 門司港駅から 北東に200m。門司港郵便局の西側に 旅館「群芳館」 がある。旅館の前に白い石柱と, 金属のプレートが 並んで建てられている。

バナナが最初に日本に持ち込まれたのは明治30年代半ば。 大量輸入されるようになったのは 明治40年代に入ってからで, 昭和10年代中頃まで続いた。青いままのバナナが台湾から門司港へ輸送され, ムロに入れて 黄色く熟させてから 全国に出荷された。 船で輸送中に黄色くなってしまったものや 加工中に傷ついたものなど, 急いで処分する必要のあるものは, 露店商などによって 口上よろしく啖呵売たんかばいで 売りさばかれた。これが「バナナの叩き売り」の始まり。

「バナナの叩き売り」は かつて, 縁日や路上販売などでよく行われていて, 一種の芸としても評価されていたが, バナナの輸入量が増えて 価格も安くなった 現在では 見ることがなくなってしまった。近年 門司では, 一種の無形文化として“保存協会”によって伝統の保存に努めており, 「バナちゃん道場」によって 叩き売り人を養成したり, 海峡プラザ周辺で実演したりしている。 市内の一部の中学校では, 学習の一貫として「バナナの叩き売りクラブ」というのが 存在しているという。

写真

  • 群芳館
  • バナナの叩き売り発祥の地
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碑文

バナナの叩き売り発祥の地

  門司港発展期成会
        有志一同 (氏名略)

バナナの叩き売り
    発祥由来の記

 昔しを偲べば, 大陸, 欧州, 台湾, 国内航路 の基幹と, 九州鉄道の発着の基地点として大いに発展した, ここ桟橋通りは往古の絵巻の一こまとして, アセチレンの灯のにぶい光の下で, 黄色くうれたバナナを戸板にならべ, だれとはなしに産まれ伝わる名セリフは大正初期~昭和十三、四年頃まで不夜城を呈し, 日本国中の旅行者の, 目を楽しませた。バナナの叩き売りの風情は門司港のこの地桟橋通り附近を発祥の地と由来せし

昭和五十三年四月  日

門司港発展期成会
北九州市観光協会

地図

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北九州市門司区港町 群芳館 付近 [ストリートビュー]