房州 海水浴 発祥地
ぼうしゅうかいすいよくはっしょうち
内房線 南端付近 北西の道路脇に黒い石碑が建っている。
日本では江戸時代初期から水泳が行われていた。“水府流水術”などに代表されるこれら古式泳法は,武術の一種として行われていたが,多くは河川あるいは湖で泳いだらしい。幕末になると外国人が来日し,横浜の居留地近くの海岸で海水浴を楽しんだ記録が遺されている。 明治18年(1885) に松本順医師が神奈川県大磯の海岸に,わが国最初の海水浴場を開いた。
その4年後の明治22年(1889) にまだ旧制中学の生徒だっただった夏目漱石が,夏休みを友人と数人で1ヵ月間の房総旅行を行った。東京霊岸島から汽船で保田へ着き,この地に10日間滞在して,保田海岸で海水浴をしたことが,自著『木屑録』に記されている。
当時の海水浴は “泳ぐ”というよりも,子供がやるように 海水に浸ったり 砂浜で甲羅干しをしたりする程度の,一種の健康法とレジャーとを兼ねたものとしての海水浴だったと思われる。房総に於けるレジャーとしての海水浴は これが最初だったとして,1986(昭和丙寅=昭和61)年に この発祥碑が建立された。
写真
碑文
房州海水浴発祥地
由来
明治二十二年,夏目漱石は旧制一高の前身,第一高等中学校の文科二年在学中 学友四人と共に房総を旅した。
八月七日,舟で房州に渡り,鋸山に上り外房二総を経 利根川を遡って帰った。日を経ること三十日 行程九十余里その間保田に滞在中 日々海水浴を楽しんだ。
そのことを誌した明治二十二年九月九日脱稿とある全漢文の「木屑録」には「日に鹹水に浴すること少なきは二,三次多きは五,六次に至る 浴時ことさらに跳躍して児戯の状をなす 倦めば則ち熱砂上に横臥す 温気腹を浸し 意甚だ適するなり」とある。昭和丙寅七月 谷川徹三
鋸南町長 厚海熊太郎 建立