秩父絹 発祥の地
ちちぶぎぬはっしょうのち
西武秩父線
発祥碑の写真の背後に木の囲いがあって,ここに“城谷沢の井”(県の史跡)と呼ばれる湧水がある。 傍らには“頌井之碑”と刻まれた石碑も建っていて,その碑文には この地が 鉢形城主北条氏邦の家臣・朝見伊賀守が養蚕を始めた地であり, 「秩父絹の発祥の地」であることを示している。
秩父地方は耕作可能な面積が少なく,古くから多くの農家で養蚕が行われていた。 さらに農家の副業として絹織物が作られ,堅牢な「秩父絹」として絹の市などで集荷され 江戸の問屋に送られた。
明治時代に入り,女性向けの丈夫で手軽なおしゃれ着として「秩父銘仙」の名は日本全国に知られた。
写真
碑文
秩父絹発祥之地 城谷沢の井
(県指定旧跡)
横瀬町教育委員会
昭和三十六年九月一日指定
頌井之碑
秩父織物工業組合理事長衆議院議員板本宗太郎題額 霊峰武甲ノ北西麓ニ一城跡アリ根古屋城ノ廃墟 之レナリ永禄中鉢形城主北條氏邦ノ家臣浅見田 賀守之レニ據リ大イニ威武ヲ張リ旦殖産ニ意ヲ 須ヰシナバ養蠶機織ノ業頻リニ興リ殊ニ絹市ハ 品質ノ優良ト相俟ツテ其ノ名上下ニ知ラルゝニ 至レリ此ニ於テカ根古屋絹ノ呼稱ハ裏地絹布ノ 総稱トシテ全國ニ普及セラレシナリ 現在ノ城谷澤ノ井ハ實ニ往年ノ根古屋絹産出ニ 貢献シタル唯一ノ遺物ニシテ而モ亦秩父織物發 祥地ヲ物語ル無二ノ遺蹟ナリ故ニ以テ昭和十五 年三月埼玉縣史蹟ニ指定セラル事ノ梗概ヲ叙シ テ以テ不朽ニ傳フ
昭和十六年四月 史蹟城谷澤ノ井保存會長識