醍醐小学校 発祥の地
だいごしょうがっこうはっしょうのち
佐沢線 羽前高松駅から北に2.5km、慈恩寺(寒河江市慈恩寺31)の近くの民家の立派な門構えの前に、わりと小振りな石標が立つ。
明治5年(1872) の学制発布により、翌年から日本各地に学校が誕生することとなる。
当地においては、明治7年(1874) に慈恩寺学校設立申請し、大江幸宥宅を借りて開校した。翌年には校舎を華蔵院に移転、明治15年(1882) には慈恩寺村字仁王堂に校舎新築し移転した。
佐沢線 羽前高松駅から北に2.5km、慈恩寺(寒河江市慈恩寺31)の近くの民家の立派な門構えの前に、わりと小振りな石標が立つ。
明治5年(1872) の学制発布により、翌年から日本各地に学校が誕生することとなる。
当地においては、明治7年(1874) に慈恩寺学校設立申請し、大江幸宥宅を借りて開校した。翌年には校舎を華蔵院に移転、明治15年(1882) には慈恩寺村字仁王堂に校舎新築し移転した。