那覇の教育の発祥の地

なはのきょういくのはっしょうのち

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どなたか見てきてください!

ゆいレール 旭橋駅から東へ500m、開南小学校・幼稚園(那覇市泉崎1丁目1-6)敷地西側の校門を入ったところに学校所跡碑があり、その説明板も並んである。

泉崎村学校所跡は、那覇市泉崎にあった琉球王国時代の教育施設「泉崎村学校所」の跡地であり、那覇の教育の発祥の地とされる場所である。

泉崎村学校所は文政7年(1824) 、大湾親雲上らの寄付によって創設された。学校は「学道館」と名付けられ、久米村から儒者を招いて教育が行われた。教師1人に対して生徒は100人余りであったと、跡地碑に記されている。

当時の「学校所」は、現在の学校制度における小学校とは性格が異なり、琉球王国の士族子弟を対象とした教育機関であった。那覇には泉崎村学校所のほか、若狭町村学校所や泊村学校所などが設けられていた。そこで読み書きや儒学などの教育が行われていた。

泉崎村学校所跡は現在の開南小学校の敷地付近に位置する。開南小学校は昭和22年(1947) に開南中学校跡地で創設され、昭和27年(1952) に泉崎へ移転したもので、泉崎村学校所がそのまま現在の開南小学校になったものではない。

令和4年(2022) 頃に校舎建て替えにより、石碑は敷地東側の校門を入った東側の校庭隅に移設された。説明看板は行って見てみないと有無は不明。

写真


碑文

泉崎村《むら》学校所《がっこうじょ》跡地《あとち》

那覇の教育の発祥《はっしょう》の地《ち》といわれる泉崎村学校は文政《ぶんせい》七年(一八二四年)に大湾《おおわん》親雲上《ぺーちん》等の寄付《きふ》によって創設《そうせつ》された
学校名を「学道館《がくどうかん》」と命名《めいめい》し久米《くめ》村《むら》の儒者を招いて教育が行われた 教師一人生徒百名余

いにしえの子等も学べり声あげて

平成十一年十一月十一日

寄贈 甲辰《こうしん》学校同窓会

泉崎村学校所
尚道館跡
文政七年十一月竣工(一八二四年)

地図

地図

那覇市泉崎1丁目 付近 [ストリートビュー]