聲楽譜附 工工四 発祥の地

せいがくふつきくんくんしーはっしょうのち

 
撮影:
2020年4月(写真 まさ・なち さん)

那覇港 泊旅客ターミナルの北、泊緑地(那覇市前島3丁目25)の東側 国道58号の境界近くに、石碑が建つ。平成23年(2011)8月除幕。

当地は、世禮國男、阿波根朝松ら県立二中の教諭らを中心とした結成された「泊三絃同好会」の活動拠点だった豊平楽器店があった場所で、伊佐川世瑞を指導者として招く。そして古典音楽習得をしつつ、採譜し、工工四(くんくんしー)に声楽譜を付け200曲あまりを楽譜化し、出版した。

古典は書物として固定されることなく口伝のみのことが多く、時代に合わせ、また指導者によって変化してきた。これを伊佐川(いさがわ)世瑞(せいずい)(1872 - 1937)の指導によりある程度固定したのが世禮(せれい)國男(くにお)(1897 - 1950)らだった。

現在では野村流を習得するには欠かせない。

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写真

  • 琉球音楽聲樂譜附工工四發祥の地 背面 世禮の叡智
  • 琉球音楽聲樂譜附工工四發祥の地
  • 琉球音楽聲樂譜附工工四發祥の地

碑文

琉球音樂
聲楽譜附工工四發祥の地

聲楽譜創制

体現者 伊差川世瑞
採譜謝 世禮 國男

昭和八年頃、県立二中教諭らが「泊三絃同好会」を結成し、指導者として伊差川世瑞師が招かれた。場所は泊高橋の近くの豊平楽器店の二階であった。世禮國男師は聲樂譜を考案し、野村安趙師、桑江良眞師を経て、伊差川世瑞師に体現された歌を工工四に記すことに成功した。
昭和十年八月二十八日に上巻が発刊されている。世禮國男師はその自序のなかで、城間恒有師、宮城嗣長師をはじめ野村流の脈・智恵・記憶を保持する先達に感謝の意を述べている。
琉球音楽の飛翔を期し、聲楽譜ゆかりのこの地に顕彰の碑を建立する。

平成二十三年八月二十八日

「琉球音楽聲樂譜附工工四發祥の地」
の碑建立期成会

野村流音楽協会
野村流古典音楽保存会
野村流伝統音楽協会
琉球古典音楽野村流松村統絃会
琉球古典音楽湛水流保存会
湛水流伝統保存会
琉球箏曲興陽会
琉球箏曲保存会
琉球伝統箏曲琉絃会

世禮の叡智

勝連繁雄

伊差川の
歌を譜に採り
絃声の
道を示しし
世禮の叡智

叡智の本を訪ねれば
世禮國男に天与の詩才あり
見よ 若き日の詩集「阿旦のかげ」を
なんという美しい火の詩魂!
この詩魂こそが神代より今に至る
琉楽人の精神の泉を感受する
また 彼に洋楽の深い素養あり
見よ「琉球音楽楽典」の知恵を
洋楽の楽理が琉楽に溶け入るを見る

ああ “神の美作”の
琉球三絃楽の有り難さよ
我等が魂の揺り駕籠よ
人生の歓びよ 想いの音色よ
我等はここに眠り ここに目覚め
ここに暮らし ここに生きる
これを思想となし 知恵となし
普遍の価値創造に参加する

世禮國男は知っていた
それゆえにこそ
絃楽譜のみだった工工四に
聲楽譜を附けて完成させた
「聲樂譜附工工四」は
今や琉球三絃楽を学ぶ者
とりわけ野村流者にとっての
最善の教本となり得たのである

忘れまい
教本は口伝を補い
口伝は教本を補い
相補ってこその琉楽である
これ
世禮國男の真の心である
不朽の名著の思想である

揮毫 芽原南龍
施工 ㈾沖縄関ヶ原石材

地図

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那覇市前島3丁目 付近 [ストリートビュー]