久米村 発祥地

くにんだはっしょうち

 
調査:
2019年4月(写真 まさ・なち さん)

沖縄県庁から那覇港方面の松山公園(那覇市松山1-17)の南西、国道58号からも見える場所に、舟のオブジェクトを戴いた石碑がある。

明(中国)の洪武帝の時代に、多くの学者や航海士などの職能集団が沖縄に渡来した、現在の福建省あたりの民族、(ビン)人。一般的に久米三十六姓などと呼ばれるが、実際に36ファミリーというわけではなく、「三十六」は現代日本で言う「百千万」「八百万」など「たくさん」という意味だという。

この閩人たちが住みつき、久米村(唐栄)を築いたという。この閩人三十六姓は、航海だけではなく、中国王朝との通訳等にも重用され、沖縄の経済や対外発展に大きく寄与した。

この碑が「久米村の発祥地」を示すことは分かっていたが、いったいどこにそんなことが刻まれているのだと長年放置してきたが、よく見たらズバリ刻みつけてあった。

写真

  • 久米村発祥地 建立趣意書
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碑文

久米村發祥地

建立趣意書

今から六〇〇年前、中国の福建から閩人三十六姓と呼ばれる人々が渡来し、この地に居を定め久米村(唐栄)を築きました。
以来久米村の人々は、外交文書の作成などを通して、王国の国際交流・交易を促進し、また中国の文化・文物を導入して、沖縄の政治・経済・文化の発展に大きく寄与しました。
ここに、久米村が、沖縄の歴史と国際交流に果たしてきた役割を顕彰し今後の友好・交流の発展を祈念して、記念碑を建立いたします。

一九九二年十二月吉日

久米村六〇〇年記念事業期成会

特別協力
(芳名略)
意匠 神山泰治
施工 沖縄関ヶ原石材

地図

地図

那覇市松山1丁目 付近 [ストリートビュー]