中野区 教育 発祥の地
しょうねんやきゅうはっしょうのち
地下鉄 丸ノ内線 中野坂上駅の南西、中野第一小学校(中野区本町2丁目38-9)敷地北東の正門脇に、ステンレスの駒札が令和3年(2021)に建てられた。
その後、江戸時代に吉宗に謁見し象が飼われていた厩舎跡に行き、2018年に開園した本二東郷やすらぎ公園の桜を見る。
— RIDY (@RIDY_WANDY) March 27, 2022
近くの中野第一小学校には、これまた2021年に建てられた中野区教育発祥の地の説明看板がありました。 pic.twitter.com/drWFXjJHLZ
写真
碑文
中野区教育発祥の地
明治八年(1875) 四月二十日、宝仙寺の本堂を仮校舎として、第三中学区第九番公立小学校桃園学校が開校しました。中野区周辺で最初の公立小学校であり、文明開化の象徴として、近代教育のさきがけとなりました。
明治一五年(1882) 一月、宝仙寺仁王門東側に校舎を新築し移転しました。
昭和二十年(1945) 五月、戦火により校舎の多くを焼失しましたが、昭和二十二年(1947) 四月一日、中野区立桃園小学校と改称し、昭和五十年(1975)、創立百周年を迎えました。
平成三十一年(2019) 四月一日、中野区立向台小学校(昭和十一年(1936) 四月一日、東京市向台尋常小学校として開校)と統合し、旧向台小学校の位置(弥生町一丁目)に中野区立中野第一小学校が開校しました。
令和三年(2021) 四月一日、中野第一小学校はこの地に校舎を新築し、弥生町一丁目より移転してきました。令和三年四月
中野区教育委員会
コメント