江戸 港 発祥跡
えどみなとはっしょうのち
京葉線・地下鉄日比谷線 八丁堀駅から南東に500m。亀島川にかかる南高橋の南50mあたりから“隅田川テラス”が始まっているが、その始端に金色のイカリをかたどった記念碑が建っている。
ここは亀島川が隅田川と合流する地点。江戸時代にはここが隅田川の河口であり、そこに江戸湊が開かれた。
江戸の町の南側は大規模な埋立てによって、江戸時代初期とは地形が全く変わってしまったため当時の姿は想像しにくいが、この辺りはかつて
昭和初期には東京湾汽船(東海汽船の前身)が伊豆諸島や房総半島との間に航路を開き、この地を拠点に定期運航した。
この地点から100m南東に、「霊岸島検潮所」がある。明治6年に現在の位置から36m上流側に作られた東京湾の水面の高さを計測する施設で、ここのデータを基に海抜0mが決められ、日本地図に反映された。現在も観測が行われている。
写真
碑文
江戸港発祥跡
慶長年間江戸幕府がこの地に江戸湊を築港してより、水運の中心地として江戸の経済を支えていた。昭和11年まで、伊豆七島など諸国への航路の出発点として、にぎわった。
東京京橋ライオンズクラブ
結成35周年記念
平成11年1月吉日建立
離島への汽船発着所として
東京湾汽船は明治22年、この地に設立された
町には6軒の旅館があ、島の人々で賑わった
旧町名越前堀は越前松平家の周囲に堀があったことに由来する
地名将監は幕府奉行職御船手(海兵団)向井将監の屋敷跡に由来する
霊岸島検潮舎は、海抜の原点で、この大川のテラス内にある越前堀将監21号住民建立