女子学院 発祥の地
じょしがくいんはっしょうのち
地下鉄日比谷線 築地駅から 200m南東。聖路加看護大学の前庭が 南側の道路に面しているところに 碑がある。この碑は 創立130周年を記念して平成11年(1999) に建てられた。
女子学院は、明治3年(1870) に東京築地居留地でアメリカ・オランダ改革派教会の女性宣教師M.F.ダニングにより「一致女学校」として創立された。この学校は当初、明治政府の外国人教育機関指定の際に「A六番女学校」とも呼称された。これは、当時の教育当局や外国人宣教師間で複数のミッションスクールを便宜的に番号で区別したものである。
一致女学校はキリスト教を基盤とした女子教育を目指し、英語教育にも力を入れた。明治8年(1875) には「一致英文女学校」と改称され、明治15年(1882) には「東京一致英和女学校」とさらに校名を変更した。明治23年(1890) には正式に「女子学院」として命名され、以後現在に至るまで女子教育機関として存続している。
明治初頭(1870年代) から日本人女性教員や卒業生も教壇に立ち、女子教育の先駆的役割を果たした。明治33年(1900) には麹町区一番町(現在の千代田区一番町)へ移転し、戦前期には高等女学校として機能した。戦後は新制中学校・高等学校へと移行し、現在に至る。
平成26年(2014) 頃にステンレス副碑が設置され、実際の発祥地との位置関係等が明らかにされている。
写真
碑文
女子学院発祥の地
ジュリア・カロゾルスが1870年、築地居留地6番にA六番女学校を創設、米国長老協会に属した。
1999年10月24日
学校法人 女子学院
「女子学院発祥の地」記念碑
発祥の地である旧築地居留地6番には、既存の建築物があるため、学校法人聖路加看護学園のご厚意により、ここに設置いたしました
学校法人 女子学院