近代 都市公園 発祥の地
きんだいとしこうえんはっしょうのち
地下鉄 日比谷線・東西線 茅場町駅すぐ、坂本町公園(中央区日本橋兜町15-3)南東隅の茅場町交番脇のスペースに、2枚の看板が並んでいる。
#中央区まちかど展示館 の #兜町・茅場町まちかど展示館 に伺いました🚶✨
— 博物館支援サークル「ミュゼさぽ」 (@MuseSapo) December 13, 2024
地元の神輿4基と兜が飾られた山車、江戸町火消しに関する史料が展示されており、当時の華やかさが目に浮かぶようでした!🏮👘
展示館がある坂本町公園は近代都市公園発祥の地でもあります👀 pic.twitter.com/Hy0VBp3y4N
- 公園探訪
https://www.koentanbo.com/sakamotocho/
写真
碑文
近代都市公園 発祥の地
坂元町公園
Sakamotocho Park Since 1889坂本町公園の歴史
東京ではじめての市街地小公園(明治22年,1889年)
坂本町公園は、明治22年(1889)、東京市区改正設計に基づく最初の市街地小公園として元警視庁の避病院跡を活用し開設された由緒ある公園です。新しい首都の形成を目標としていた東京府は、緻密な市街地に新鮮な大気を提供する園林と空地が、衛生上、必要であると考え、美観の向上、避難地、学校の校庭としても活用できるコミュニティ公園を、阪本小学校に隣接し創り出しました。
設計者は、東京府の長岡安平(ながおかやすへい)で、小高い丘を囲み芝生広場が整備され、エンジュ、椎・ヒノキの森、四季折々の梅・櫻・楓が植栽されました。園路沿いには江戸以来の七草(ななくさ)が植えられ、ガス灯が設けられ 、風雅な涼亭(売茶亭)で憩うことのできる近代公園が誕生しました。長岡は、 その後、全国の近代公園設計のバイオニアとして活躍しました。関東大震災からの復興(昭和4年,1929年)
大正12年(1923)、関東大震災の発生により当該地域は焦土と化し、坂本町公園は、避難民の収容施設や仮校舎用地として利用され、奇しくも、非常時における都市公園の役割を担うこととなりました。復興に伴う区画整理により公園の位置は、やや南に移り南北に長かった地形が東西に長い形となりました。昭和4年(1929) に竣工し、人々の憩いの場として親しまれてきました。
設計者は、長岡を師と仰いだ、東京市公園課長・井下清(いのしたきよし)で 、大小2つの円からなる広場と緑陰・池泉が整備され、震災で亡くなった人々への鎮魂の思いをこめた「こども像」が、水飲み場に併設して設けられました。小学校と公園を一体化して整備が行われていた明治期の坂本町公園の考え方は、東京の52ヵ所の復興公園 (十思公園・久松公園等)で継承され、全国各地のコミュニティ公園の模範として、多くの都市で展開されていくことになりました。受け継がれるコモンズ(戦災復興~21世紀、1945年~2021年~)
第二次世界大戦により、東京都心は焦土と化しました。戦後整備された公園には、広場、遊具、ブール等が整備され、地域の人々の共有の場「コモンズ」 として活用されてきました。平成28年(2016)、阪本小学校の建て替えが行われることになり、仮校舎の建設のために坂本町公園は、三度目の再生を行うこととなりました。再生にあたっては、中央区、阪本小学校、日本橋七の部連合町会、地元企業、中央大学等がワークショップを開催し、検討を重ねてきました。最も大事にしたことは、「こども達の夢」の実現です。「自然の中で思いっきりあそびたい」という夢が、おおらかな芝生の丘、小川となって実現しています。江戸・東京400年の歴史文化を踏まえた、七草の庭も整備され、地域のかけがえのないコモンズが、力強く受け継がれています。
Opened in 1889, Sakamotocho Park was the first community park in Tokyo. It was designed to create open spaces for providing fresh air and a healthy environment adjacent to the Sakamoto Elementary School by prefectural landscape architect Yasuhei Nagaoka. Unfortunately, the park was lost by fire spawned from the Great Kanto Earthquake in 1923. Soon after, the reconstruction project took place and the park was re-designed by Kiyoshi Inoshita who was the executive director of the Park Department in Tokyo. He created 52 community parks in downtown Tokyo. However, the park was once again destroyed by fire when the city was bombed during WWII. In 2016, it was decided to rebuild the Sakamoto Elementary School, and the park became the temporary site of the school. A new design of the park was created through workshops, together with children and community. The concept of the new park is to create urban nature for children based on the cultural activities since the 17th century.
制作協力
中央大学研究開発機構グリーンインフラ研究室中央区環境土木部水とみどりの課 CHUO CITY 03-3546-5435