日本最初の 洋式公園

にっぽんさいしょのようしきこうえん

山手町のフェリス女子学園大学の南に接して山手公園がある。公園のほぼ中央、テニス発祥記念館の近く 山手68番館の前に山手公園120周年の記念碑があり、その横に日本最初の洋式公園の案内板が建っている。

山手町一帯は、横浜の開港にともなって外国人が居住するための居留地がおかれた地域。山手公園は居留する外国人が日本政府から土地を借りて自らの資金で開設した“外国人専用”の公園で、明治4年(1871)に開園した。

その後経済的な理由で居留民が公園を維持できなくなり、日本政府に返還された。同時期に創設されたテニスクラブ(レディズ・ローンテニス&クロッケー・クラブ)が公園の管理をする代わりに公園の1/4をテニスコートとして利用することが許可された。

太平洋戦争後、公園は米軍に接収されたが、昭和27年(1952) に返還された。

平成2年(1990) に公園開設120周年記念の行事が行われ、記念碑が設置された。この記念碑の碑文を読むと「5月6日」の部分だけやけに強調されているように見える。もしくは修整されたのか? と英文を見遣ると、「June 4th」となっており、日英語で内容が違うことがわかる。平成初頭においては、日英語表記における基準の暦が違っていたのだろうか。なお、背面にはステンレス板の年表が貼り付けられている。


久しぶりに現物を目の当たりにすると、だいぶ汚れて120周年碑が30年の海風にさらされ読み取りづらくなってきていた。磨けばきれいによみがえると思われる。

写真

  • 日本最初の洋式公園
  • 120周年記念碑 下部 碑文
  • 120周年記念碑 上部
  • 日本最初の洋式公園
  • 山手公園120周年碑(2023)
  • 日本最初の洋式公園(2023)
  • 山手公園120周年碑(2023)
  • 山手公園120周年碑(2023) 背面の年表
  • 山手68番館(2023)

碑文

横浜市地域史跡

日本最初の洋式公園 (山手公園)

登録年月日
平成8年11月5日
所在地
中区山手町230番地
所有者
横浜市
登録区域
中区山手町230番地の一部

横浜居住の外国人の間には山手方面に専用の遊園地を望む声があり、慶応2年(1866)に外国公使団との間で結ばれた「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」(慶応約書)によって、その要求が幕府に認められました。しかし、この中の公園計画は具体化しないで終わりました。
明治2年(1869)に居留民代表から改めて要求が出されたのに対して、日本政府は山手妙光寺付近の土地約6千坪を、慶応約書で約束した土地の代替地として貸与しました。公園の造成は居留民が行い、明治3年5月6日(1870年6月4日)に開園したのが山手公園です。
明治11年(1878)からは、居留外国人女性で組織される横浜レディズ・ローン・テニス・クラブ・アンド・クロッケー・クラブ(横浜婦女弄鞠社ろうきゅうしゃ)が管理することなり、クラブハウスとコートがここに設けられました。

横浜市教育委員会

YAMATE PARK
120th ANNIVERSARY

山手公園は我が国初の洋式公園として明治3年(1870年)5月6日に開設されました
ここに120周年を記念いたします

平成2年6月
横浜市長 高秀秀信

Yamate Park is Japanese first western-style park. It was established on June 4th 1870.

June 1990
Hidenobu Takahide
Mayor
City of Yokohama

横浜の公園発達史

(年表略)

地図

地図

中区山手町 付近 [ストリートビュー]