日本最初の 洋式 公園

にっぽんさいしょのようしきこうえん

山手町のフェリス女子学園大学の南に接して山手公園がある。公園のほぼ中央、「テニス発祥記念館」の近くに「山手公園120周年」の記念碑があり、その横に「日本最初の洋式公園」の碑が建っている。

山手町一帯は、横浜の開港にともなって外国人が居住するための居留地がおかれた地域。山手公園は居留する外国人が日本政府から土地を借りて自らの資金で開設した“外国人専用”の公園で、1871(明治4)年に開園した。

その後経済的な理由で居留民が公園を維持できなくなり、日本政府に返還された。同時期に創設されたテニスクラブ(レディズ・ローンテニス&クロッケー・クラブ)が公園の管理をする代わりに公園の1/4をテニスコートとして利用することが許可された。

太平洋戦争後、公園は米軍に接収されたが、1952(昭和27)年に返還された。1990(平成2)年に公園開設120周年記念の行事が行われた。

写真


旧URL
http://hamadayori.com/hass-col/culture/YamateKoen.htm

碑文

横浜市地域史跡

日本最初の洋式公園 (山手公園)

登録年月日
平成8年11月5日
所在地
中区山手町230番地
所有者
横浜市
登録区域
中区山手町230番地の一部

 横浜居住の外国人の間には山手方面に専用の遊園地を望む声があり、慶応2年(1866)に外国公使団との間で結ばれた「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」(慶応約書)によって、その要求が幕府に認められました。しかし、この中の公園計画は具体化しないで終わりました。

 明治2年(1869)に居留民代表から改めて要求が出されたのに対して、日本政府は山手妙光寺付近の土地約6千坪を、慶応約書で約束した土地の代替地として貸与しました。公園の造成は居留民が行い、明治3年5月6日(1870年6月4日)に開園したのが山手公園です。

 明治11年(1878)からは、居留外国人女性で組織される横浜レディズ・ローン・テニス・クラブ・アンド・クロッケー・クラブ(横浜婦女弄鞠社ろうきゅうしゃ)が管理することなり、クラブハウスとコートがここに設けられました。

横浜市教育委員会

地図

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中区山手町 付近 [ストリートビュー]