我国 西洋 歯科医学 発祥の地

せいようしかいがくはっしょうのち

かつては縁の地ということで、中区山下町の駐労会館(現 駐労福祉センター)前に設置されていたが、駐車場整備により撤去、当地 神奈川県歯科医師会前に移設された。

写真


碑文

我国西洋歯科医学発祥の地

 ここは, 万延元年(1860年) 歯科医師として最初に来日した 米国人ウイリアム・クラーク・イーストレーキ博士が, 来浜三度目の 明治14年に歯科診療所を開設したゆかりの地である。

 博士は, 明治元年二度目の来浜に際し歯科診療所(所在地不詳)を 開設し, 献身的な診療活動のかたわら日本人歯科医師の育成に努力を 傾注し, 日本近代歯科医学の世界的発展の端緒を開く役割を担われた。

 いま, イーストレーキ博士の来浜125周年ならびに, 神奈川県 歯科医学会創立60周年を迎えるにあたり, 博士の多大な業績を讃え その意義を後世に伝えるため西洋歯科医学発祥のこの地に顕彰の碑を建立するものである。

昭和60年11月吉日

社団法人 神奈川県歯科医師会
会長 加藤増夫

駐労会館前からそのまま移設されたため、「ゆかりの地」ではなくなっている。


西洋歯科医学勉学の地

 エリオット博士は, 居留地57番のこの地に歯科診療所を明治3年より同7年まで開設し, 外国人の歯科診療に従事するかたわら, 木戸孝 允, 新島襄, 西郷従道を治療し小原英之助, 佐治駿を門下生とし指導されました。

 同博士の帰国にあたり同診療所を引き継いだパーキンス博士は明治14年秋, 帰国まで 診療のかたわら 西村輔三, 関川重吾, 大田吉三郎, 渡辺晋三, 山田利充, 林譲治, 黒田虎太郎らに西洋歯科医学の指導をされました。

 これら両博士の門人が多数の本邦人に西洋歯科医学を伝承し, 今日の近代歯科医学の基礎をつくられた功績は真に大であります。

 本会創立70周年に当り, ここに「西洋歯科医学勉学の地」記念碑を建立して, 両博士の功績を讃える次第です。

平成7年5月吉日

神奈川県歯科医師会

こちらも居留地57番にあったものだったが、歯科医師会前に移設された。

地図

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中区住吉町6丁目 付近 [ストリートビュー]