近代街路の発祥地

きんだいがいろのはっしょうち

根岸線 関内駅すぐそばの横浜スタジアムを擁する横浜公園の北側から横浜港に向かってまっすぐ伸びる街路が日本大通り。この起点とも言える横浜公園側にある旧 日本綿花横浜支店ビル、後にアメリカ合衆国に占領されたり、関東財務局となったりした横浜市指定有形文化財である建物の前に、日本大通りを説明する標識が設置されている。

日本大通りは、平成19年(2007)に国指定登録記念物とされている。横浜を舞台に活躍する刑事ドラマでたびたびスピンターンをするシーンに使われるほどの広々した車道だったが、平成13年(2001)には9m(2車線)に狭める改修が施されている。

写真


碑文

日本大通り
NIHON Ō-DŌRI

旧外国人居留地と日本人街を区分する街路で、慶応2年(1866)の大火災後に防火帯を兼ねて計画・整備された日本における近代街路の発祥地である。当初は12mの中央車道の左右に3mの歩道と9mの植樹帯が設けられていた。設計者のブラントンは、横浜公園や旧居留地下水道など横浜の都市基盤整備に主導的な役割をはたしたイギリス人技術者である。沿道には、神奈川県庁本庁舎、旧英国総領事館、旧横浜商工奨励館、旧横浜地方裁判所、三井物産横浜ビルといった歴史的建造物が集積し、横浜でも有数の歴史的景観を形成している。

所在地:中区日本大通
構造・規模:幅員36m
建設年代:明治4年(1871)~明治12年(1879)
設計:R.H.ブラントン
施工:不明

地図

地図

中区日本大通 付近 [ストリートビュー]