七本松通り名発祥ノ地
ななほんまつとおりめいはっしょうのち
京福電気鉄道(嵐電)北野線 北野白梅町駅から800mほど東、旧 市電北野線 下ノ森車庫跡 の三角広場の外灯近くに、黒い看板が立てられている。
文字通り、この地に株から7本にわかれた松が群生していたことから通りの名称となったということだ。
この地から、南北に延びているのが七本松通り。西へは一条通り、東へは
大将軍八神社のある商店街の情報量が多い一角。宮本武蔵と吉岡一門の決闘の地(一乗寺下り松とは別?)であり、歌舞伎発祥の地であり、七本松の名前発祥の地で、チンチン電車 pic.twitter.com/wep0kGknLH
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この看板1枚だけでも情報が多いなと思うのだが、この広場の西側にも同型の看板が2枚あり、いろんなことを書き並べ、色調のギトギト感も相俟って、べしゃり好きでまとめ下手な会社経営者の演説のような雰囲気になっている。
写真
碑文
七本松通り名発祥ノ地
この場所に存在
右近ノ馬場ノ名残
七本ノ群生松(江戸期)
平安京 大内裏十四門ノ内
安嘉門 旧蹟 二層八間 これより南西三十米礎石
門額ー橘 ノ逸勢 (平安三筆ノ一人)ノ筆
(空海は応天門)
北野とチンチン電車
明治28年2月1日、人力車の時代に日本で初めて京都の街に電車が走りました。
このモニュメントのある七本松一条の横町をチンチン電車が走り、北野線として開通したのは明治33年のことでありました。
以来、昭和36年7月31日限りで廃止されるまで、北野線のチンチン電車は明治、大正、昭和と3代にわたり、北野商店街の軒先ぎりぎりを走り続け、運転手は沿線の人々の生活にとけ込む様な親しさで北野天満宮とげんざいのJR京都駅までを往復していました。
北野天満宮は学問の神さまで、境内には牛をお祀りし、約2000本の種々の梅は特に有名で天神さんの縁日には沢山のお参りの人で賑わい、このチンチン電車は満員でありました。