青梅街道 発祥の地

おうめかいどうはっしょうのち

青梅線 青梅駅から北に4km。都道53号 成木街道を東青梅駅方面から北上し,吹上トンネルを出たすぐ右側に“割烹うらしま”があり,この入口などの周辺に「青梅街道発祥の地」などと書かれたいくつかの看板が設置されている。

「青梅街道」は東京 新宿から青梅市を経由して,山梨県甲府市に至る街道である。甲州街道の裏街道で,東京西部の主要道路の一つ。都心と多摩地域を結ぶ大動脈である。江戸時代初期に江戸城の大増改築が行われた際に,青梅の成木村付近で採れた石灰を運搬する道路として整備された。

家康による江戸開府以来 猛烈な勢いで江戸の都市建設が進められ,大量の建築資材が必要となった。太田道灌が築城した江戸城は関八州を治めるには規模が小さく余りにも貧弱だったために,家康は2代将軍 秀忠に命じて大規模な増改築を行った。このため城壁や防火壁用の漆喰材料も大量に必要となった。

漆喰は消石灰に砂・海草抽出物などと練ったもので,耐水性・耐火性があるため建物の土壁の上に塗られる内外装材として使用される。当時 江戸の周辺で石灰が大量に取れたのが青梅の成木地区(北小曽木村や上成木村)で,八王子城などの城壁にも使用されたため“八王子白土焼”と命名され,厳重な警備のもと“御用石灰”として江戸へ輸送された。

この資材輸送のために,新宿から青梅までをほぼ直線で結ぶ道路を整備したのが「成木往還」で、江戸時代中頃から「青梅街道」と呼ばれるようになった。その後 石灰の輸送は陸運から水運(多摩川)のルートが開発されたが,青梅街道は多摩地区の農産物を江戸の消費地に輸送する重要な道路として利用された。

この看板は,この地(青梅市成木地区)が石灰の産地で,青梅街道が開かれた起源となったことを表明していると思われるが,ここを通過する道路は成木街道(青梅市街地と青梅市成木地区を結ぶ都道)であって,青梅街道ではない。ただし、青梅街道はいろいろ名前を変えながら江戸へと結んでいるので、青梅街道の一部であるのかもしれない。

写真

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  • 青梅街道発祥の駅
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碑文

青梅街道
  発祥の地

味の駅

地図

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青梅市成木8丁目 付近 [ストリートビュー]