学習院 発祥の地
がくしゅういんはっしょうのち
京都御所(上京区京都御苑3)の東側の森に、人をあまり立ち止まらせない駒札が立つ。江戸時代の華族の教育機関として設立され、明治以後は廃止された。現在の学校法人学習院は、その後に改めて設置され、明治天皇によって勅額が下賜されたもの。
弘化4年(1847) 3月、仁孝天皇の遺志を継いだ孝明天皇により学習所が開校された。この「学習所」が現在の学習院の直接の源流である。嘉永2年(1849) には孝明天皇から「学習院」の勅額が賜い、これにより「学習院」の名称が定着した。
明治10年(1877) 10月、華族学校が東京の神田錦町に設立され、明治天皇をお迎えして開院式が行われた。この時、京都の学習院の勅額が掲げられ、名称も正式に「学習院」と改称された。神田錦町の校舎は明治16年(1883) の火災により焼失し、一時的に虎ノ門へ移転した後、明治23年(1890) に麹町区四谷尾張町(現在の新宿区初台・四谷周辺)の校舎へ移転した。
さらに生徒数の増加と教育体制の拡充に伴い、明治41年(1908) に現在の目白キャンパスがある東京府豊島郡高田村(現在の東京都豊島区目白)へと移転した。
京都の建春門外に設けられた学習所(学習院)の跡地には、現在「学習院跡」の石碑が建立されている。また、神田錦町の旧校舎跡地付近(現在の千代田区神田錦町)にも「学習院発祥の地」の記念碑が設置されている。
学習院の発祥の地というのが京都御所の中にあります。森の中の誰も見向きもしない大木の周辺です。#京都 #京都御苑 pic.twitter.com/E6gj0YjUBm
— kyoto street (@KyotoStreet) 2018年10月27日
写真
碑文
学習院 発祥 の地一七七九(
安永 八)年、閑院宮家出身で皇位を継いだ光格 天皇は、学問を大切にし、公家の教育振興に取り組みました。次の仁孝 天皇在位中の一八四五(弘化二)年、幕府から学習所の設置が認められ、孝明 天皇在位中の一八四七(弘化四)年、この地に開講しました。公家や御所に勤める役人たちとその子弟に漢字と和学を教えることとし、一八四九(嘉永 二)年、孝明天皇より「学習院」の額(勅額 )が下賜 され校名が定まりました。
明治に入って京都の学習院は廃止されますが、一八七七(明治 一〇)年、東京に開業した家族学校へ明治天皇から改めて勅額が下賜され、学習院の名が受け継がれました。現在の学校法人学習院は、このときを創立としています。
できれば「明治」よりも「
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