鹿鳴館 時代の 発祥地

ろくめいかんじだいのはっしょうち

千代田区内幸町の高層ビル、NBF日比谷ビル(旧大和生命ビル)。江戸時代には薩摩藩装束屋敷、そして明治時代には鹿鳴館が設置されていた。

はりつけや打ち首などの残酷な処刑が明治になってもまだ行われており、居住する西洋人からはまだまだ野蛮な国だとされていた日本。そんな日本も、文明国家であることを主張するために1883年(明治16年)に迎賓館としての役割を負った鹿鳴館ろくめいかんが完成。明治16年から明治20年(1887)頃を鹿鳴館時代と呼び、西洋人には嘲笑され、国粋主義者には激しく非難された。

碑版は、日々や通りからNBF日比谷ビル向かって左側、帝国ホテル東京との境となるコンクリート製の壁に埋め込まれている。もともと文字には白色の色入れされていたようだがはげ落ち、訪問時はたいへん読みづらかったので内容は千代田区観光協会のページを参照した。

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千代田区観光協会予備.zip

写真

  • 鹿鳴館時代の発祥
  • 鹿鳴館時代の発祥

碑文

鹿鳴館跡

ここはもと薩摩の装束屋敷の跡であってその黒門は戦前まで国宝であった
その中に明治十六年鹿鳴館が建てられいわゆる鹿鳴館時代の発祥地となった

千代田区

地図

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千代田区内幸町 付近