憲法 草創之處

けんぽうそうそうのところ

横浜市の南端、京浜急行 金沢八景駅(KK50)からシーサイドライン野島公園駅に向って500mぐらい進んだ“洲崎町交差点”に、「憲法草創之處」碑が建つ。かつてこの辺りに東屋という旅館があり、ここで伊藤博文を中心に、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎の4人によって明治憲法の骨格が練られた。

明治維新後、明治天皇が元老院議長に憲法草案を作るように勅命を下したが、最初の草案は欧米各国の制度を適当に焼き直しただけで国情に合わないとされ、1882(明治15)年に伊藤博文らが欧州に渡り調査を進めた結果、1884(明治17)年頃から本格的に憲法草案の起草作業に入った。

伊藤博文は1887(明治20)年から、金子堅太郎・伊東巳代治・井上毅と共に、東京を離れて、横浜の金沢八景「東屋旅館」に集まり立案の構想を練った。

ある夜東屋に盗賊が入り、機密書類の入ったいた行李が盗まれたが、幸い翌日書類は無事発見された。このため、安全のために会議の場所を夏島にある伊藤の別荘に移し、草案が完成されたと言われる。当時夏島は孤島状態にあり、機密の確保に好都合だった。このためここで起草された草案は「夏島憲法」とも呼ばれる。

この草案を基にして、1889(明治22)年に“大日本帝国憲法”が発布された。

憲法草創之處碑は、憲法草案起草メンバー金子堅太郎の揮毫によって昭和10年に東屋旅館の庭に建てられたが、昭和30年 旅館廃業により野島に移転。その後の周辺整備により、東屋旅館跡近くの洲崎町三叉路ロータリーに戻ってきた。この碑から西に約100m進んだ場所にも案内板が設置されている。

写真


旧URL
http://hamadayori.com/hass-col/culture/MeijiKenpo.htm

碑文

憲法草創之處

明治憲法起草の碑

この碑は明治20年(1887)伊藤博文伊東巳代治金子堅太郎らが料亭東屋において明治憲法制定のため草案を起草したのを記念し、昭和18(1935)金子堅太郎書で建立されたものである

料亭東屋跡は金沢八景駅寄り約100米

移設記念
昭和62年4月吉日

地図

地図

金沢区洲崎町 付近 [ストリートビュー]