皇典講究所 創設
こうてんこうきゅうじょそうせつ
中央線 飯田橋駅近くの東京区政会館(千代田区飯田橋3-5-1)敷地南西隅あたりに、背の低い黒い石碑が2つ並んでいる。右側の石碑には「發祥記念碑」とだけ記されていて、それだけでは全然伝わらない。見れば、当地に皇典講究所が創設され、それが日本大と國學院大に引き継がれていったというようなことがわかる。
大衆へ向けて皇道の教化活動を行う機関が必要とされ、明治天皇は明治15年(1882)
発展の過程において、大正12年(1923)には渋谷氷川裏御料地(現在の國學院大學 校地)に移転した。
すぐ近くの明治通り歩道には、國學院大學開校の地碑・日本大学開校の地碑がそれぞれある。
何も名乗らずいきなり「発祥」としてしまうのは、田舎のバス停「四つ角」「学校前」などの命名規則のようで和む。隣に並ぶのは、渋谷移転後の大正13年(1924)にできた日本医科大学付属第一病院記念碑。
写真
碑文
発祥記念碑
明治十五年 有栖川宮熾仁親王を総裁としてこの地に皇典講究所創設 同所を母体に 山田顕義所長のもと
明治二十二年 日本法律学校(現 日本大学)
明治二十三年 国学院(現 国学院大学)を
開設す昭和六十年十一月吉日 建立
日本大学
国学院大学