甲東小学校 発祥の地

こうとうしょうがっこうはっしょうのち

阪神電鉄 今津線 門戸厄神(もんどやくじん)駅から北西に700m。聖和大学の東隣に“門戸厄神”として知られる松泰山 東光寺(西宮市門戸西町2-26)がある。東光寺の表門を入って内側のすぐ左, 中楼門の向い側に, 高さ1m足らずの石碑が建っている。

甲東小学校は, 明治6年(1873) にここ門戸村東光寺に仮校舎を設けて「門戸小学校」として開校した。明治9年(1876) この地から150mほど東に新校舎を建設して移転。各学年1つずつの教室があったが、敷地が狭く運動会も開けなかったという。

明治22年(1889), 門戸村は 近隣の7つの村と合併して甲東村が誕生し, 「甲東尋常小学校」と改称。大正15年(1926), 現在地(西宮市神呪町=この地より北東400m)に移転。児童数は 360名。 付近に住宅地が開発されて人口が急増し, 昭和16年(1941) には児童数も1000人近くになった。

昭和16年(1941), 甲東村は西宮市と合併し,「西宮市立甲東国民学校」に改称。昭和22年(1947), 新学制により「西宮市立甲東小学校」に改称し, 現在に至る。現在の児童数は約1050名。

東光寺は, 嵯峨天皇の勅願によって創建されたと言われ, “厄除け祈願寺”として有名で, 「東光寺」というより「門戸厄神(もんどやくじん)」という名前の方が通りが良いらしい。なお, 明治9年(1876) に校舎を新築移転した場所は現在マンションになっている。

写真

  • 門戸厄神 表門
  • 甲東小学校発祥の地

碑文

西宮市立
甲東小学校発祥の地 (東光寺寺子屋跡)

甲東小学校跡

明治六年(一八七三)四月, 門戸村東光寺 の仮校舎から出発した甲東小学校は, 明治九年(一八七六)に, ここ垣之内の新築校舎に 移った。明治十七年(一八八四)改正教育令 の時代には中等科が設置され, 大社, 広田, 瓦木, 武庫, 良元の初等科卒業生を収容して 地方教育の一中心地であった。
前の小川には川魚が泳いでいた。

甲東文化財保存会

地図

地図

西宮市門戸西町 付近 [ストリートビュー]