明治憲法草案 起草の跡

めいじけんぽうあんきそうのあと

金沢八景の東屋旅館で憲法草案を起草していたが、ある晩旅館に盗賊が入り、書類の入った行李を盗まれた。安全のために会議の場所を夏島にある伊藤の別荘に移し、草案が完成されたと言われる。当時夏島は孤島状態にあり、機密の確保に好都合だった。このためここで起草された草案は「夏島憲法」とも呼ばれる。

この草案を基にして, 明治22年(1889) に“大日本帝国憲法”が発布された。

詳細 → 憲法草創之處

写真

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  • 明治憲法起草遺跡記念碑
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  • 明治憲法起草遺跡記念碑 銘板
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  • 明治憲法草案起草の跡 側背面
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碑文

明治憲法
草案起草
の跡

金森徳次郎書

SITE OF ORIGINAL DRAFTING OF THE MEIJI CONSTITUTION
IN THE YEAR MEIJI 20 ― AD.1887

PROMOTORS

IWATARŌ UCHIYAMA
SOUJI YAMAMOTO
MAYO S. SILVEY
JAMES H. DRAUGHON

REBUILT ON 11TH FEBRUARY 1951

發起人

内山岩太郎
山本惣治
メーヨー エス シルビー
ジェームス エイチ ドローン

昭和26年2月11日 再建

協賛

神奈川県
横濱市
横濱商工會議所
横須賀市
横須賀商工會議所
富士自動車株式會社

明治憲法起草遺跡記念碑

この記念碑は、現在地から南方二百メートルの場所に、大正十五年十一月に建立された
ものである。
当時、明治憲法草案起草の関係者であり記念碑の建立発起人の一人であった金子堅太郎の言によれば、その場所は、伊藤博文の別荘の草庵起草の室にあてられた十二畳半の部屋であったという。
記念碑は、太平洋戦争後荒廃していたが、当時この地で創業していた富士自動車株式会社の手によって、一部原形を変えて改修され昭和二十六年二月再度除幕された。
このたび、元の位置を含む一帯が、日産自動車株式会社に帰属することとなったので同社と協議のうえ現在地に移設させ、明治憲法草案起草の遺跡を示す唯一の記念碑として永く後世に伝えようとするものである。

ちなみに、この碑の外面は、七十六個の石からなるが、これは明治憲法の七十六箇条を意味し、基石の縦横各二十二尺二寸一分一厘の長さは、憲法発布の明治二十二年二月十一日を示したものである。

昭和五十年四月二十六日

横須賀市

施工 日産自動車株式会社
株式会社大林組

金澤之爲地負山瀕海波光與嵐影相映自古稱武相第一之名區伊藤春畝公愛其勝構別墅於夏島将就此而審議憲法典範之草案屋宇無輪奐之美柱楹不加雕飾一棟六房纔凌風雨耳明治二十年三月起工六月落之也公乃徃焉陪従者三人予與金子堅太郎寓東家井上毅別居公日夾臨東家從事調査予專管機秘草案一夕有偸兒入予室奪行李而去翌朝覺之百方捜索偸兒唯取銭而棄行李干圃中草案則幸無恙矣公乃命二人移居夏島島孤懸干海心非僦舟不可渡居此者宛如謫客距島数百武有烏帽子巖巖以形名焉時際盛夏晨夕討論之暇徃徃游泳至巌下其快洵不可名状也顧夏島既爲憲法發祥之處而物換星移今則為海軍飛行場併烏帽子巖無復原影滄桑之燮足喫一驚也於是刻文而誌遺跡以告後人云

大正十五年十月
正二位勲一等伯爵伊東巳代治撰并書

横須賀市指定市民文化資産
横須賀風物百選

明治憲法起草地記念碑

伊藤博文らが明治憲法を起草した夏島の別荘跡地に、草案に加わった伊東巳代治、金子堅太郎らが発起人になり、大正一五年に建立された。昭和五〇年現在地に移転された。

地図

地図

横須賀市夏島町 付近 [ストリートビュー]