三河武士 発祥の地
みかわぶしはっしょうのち
愛知環状鉄道 北岡崎駅の北東 700m。井田公園(井田城址)にある「晴明白龍大神」の小さな祠の脇に「晴明白龍大神縁起」 という碑がある。
「三河武士」とは何か, 定義ははっきりしないが, 言葉通りに解釈すれば “徳川家康の出身地である三河の国の武士”であって, 家康と苦楽を共にし天下を取る原動力となった武士たちを指す。 一般に“勇敢・頑固・忍耐力が強い”と評価され, 団結が固く これが徳川の強みになったとされる。しかし もう少し狭く捉えて, 江戸幕府を支えた酒井忠次・土井利勝・鳥居元忠・安藤直次・ 本多利久・大久保彦左衛門……らの, 三河出身の家臣らのことを指す場合もあるらしい。
井田城は 酒井家の居城で 岡崎城の支城だった。ここから三河武士が発祥したわけではなく, 岡崎が「三河武士を輩出した地域」というにすぎない。
写真
碑文
晴明白龍大神縁起
御祭神 晴明白龍大神
史跡 井田城址 亀井戸跡
場所 井田町城山(三河武士発祥の地)由緒
岡崎発展の歴史にはその基礎に井田城の存在があり、徳川三百年の太平に大きな役割を果たしたのであります
応仁より天文年間までの約百年に亘り特筆される激戦が四回もありいわゆる井田野の合戦と云われこれに勝ち抜いたのでやがて徳川が覇を制することができたのであります。
ここは岡崎城と大樹寺を結ぶ直線上にあり連携もよく眼下は一望の平野が開け天然の堅塁としての地形を具備して居りこの井田城を守る代々の将兵は強く(私等の祖先)堅忍不抜 勇猛果敢の精神はここで培われ父祖伝来の三河武士の魂は井田城に於て発揮されたのであります。
その三河士魂を神格に表現し晴明白龍大神と尊称して奉斎したものであります