大久保氏 一族 発跡地

おおくぼしいちぞくはっせきち

東海道本線 岡崎駅から北西に700m。県道48号線に面した「上和田公民館」の敷地内左手に大きな石碑が建っている。「岡崎観光文化百選」という案内板には 「大久保一族の発祥地」と書かれている。

ここは かつて「上和田城」があった場所で, 三河譜代の臣として幕末まで徳川家に仕えた大久保一族の屋敷だったが, 現在は「大久保一族発祥地」「和田城用心濠跡」の碑が建つのみで, 城跡とわかる遺構は残されていない。わずかに“上和田町南屋敷”という地名に歴史が伝えられている。

大久保彦左衛門=大久保忠教は 上和田城に生まれ, 戦国の混乱期に 徳川家康に仕えて 数々の武功を建て, 家康に重用され 徳川譜代の旗本となる。しかし江戸幕府の平和な時代になると 戦国武士はリストラされ, 政治に必要な官僚に 重きが置かれるようになる。大久保家も所領を減らされ閑職に追いやられたが, 彦左衛門は 戦国武士の気骨を保ち, 頑固なまでに武士の意地を貫き通した。

「一心太助」との物語で有名な“天下の御意見番”は, 彼の型破りな言動を基に史実を離れて作り上げられた歌舞伎・講談などでの架空のヒーローである。

写真

  • 大久保氏一族発跡地
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碑文

大久保氏一族發跡地

愛知縣

岡崎観光文化百選

大久保一族の発祥地

この辺りは, 三河譜代の臣として幕末まで続いた大久保一党の屋敷があったところです。上和田には城址があり, 大久保忠教ただたか以降, 代々の居地でした。家康、 秀忠ひでただ家光いえみつの三代に渡る将軍に仕えた大久保彦左衛門もここで生まれています。
また大久保一族の墓は滝泉寺町の長福寺ちょうふくじにあります。

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The Home of the Ōkubo Clan

The monument of the Ōkubo Clan one of the heredtary vassals to the Tokugawas in the Mikawa area, stands at the site of the residence of the Clan that continued until the end of the Shogunate Ōkubo Hikozaemon, the famaous senior admonitor to three Shōguns, Iyeyasu, Hidetada and Iyemitsu was born at this place.

地図

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岡崎市上和田町 付近 [ストリートビュー]