メカタ姓 発祥の地

めかたせいはっしょうのち

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撮影:
どなたか見てきてください!

近江鉄道 本線(湖東近江路線)愛知川駅~尼子駅の間、南東部にある愛荘町あいしょうちょう 目加田めかだ地区。ここにはかつて目加田城があり、目賀田城跡公園(愛知郡愛荘町目加田954-8)として残されている。表記に揺れがあり、目加田城なのか目賀田城なのか、よくわからない。

土塁のあるこの広場の平地部分にある説明には、メカタ姓発祥の地であることが謳われている。

なお、目加田地区には、メカタ姓の発祥地であることを宣言する標識がそこかしこに設置されている。

写真


碑文

目賀田めがたじょう

目賀田城は、佐々木六角氏の重臣として活躍した目賀田氏が築城したと伝えられる城館です。目賀田氏は、天正十年(1582)の本能寺の変において、明智光秀に加担したことから、豊臣秀吉に知行を没収され一族は離散したとされ、当地目加田は、メカタ姓発祥の地であると言われています。
目賀田城は県下でも比較的類例の多い単純な方形構造を持つ平地城館です。現在の目加田集落が目賀田城をその南西部分に取り込むように成立しており、ほぼ一町四方の城館主郭内部においても今日、かなり宅地化が進んでいます。しかしながら、当城跡において残存する土塁は比高3mを有し、今回城跡公園として整備を図る地区の遺存状態は良好と言えます。
当城跡の特徴としては、現在は既に整地されていますが、城館北側の内湾部の存在があります。、これは堀を経て岩倉川に通じる舟入と考えられており、河川を利用した水運が想定されております。また、目加田集落の周囲を巡る里道においては、外部から集落に入る道が交差するところで3か所食い違いがあり、これを虎口の遺構とみると、目加田集落は城館を中心にして総構えで編成されたとも考えられ、留意すべき点と思われます。
平成15年7月、秦荘町史跡に指定。

平成16年11月14日

秦荘町教育委員会

秦荘町はたしょうちょうは、平成18年(2006) に隣接する愛知川町と合併し、愛荘町となった。

愛荘町
目加田
MEKADA
─むらじまん─

メカタ性発祥の地

目賀田城跡公園のまち
048

めかだ里中線

地図

地図

愛知郡愛荘町目加田 付近