メカタ姓 発祥の地
めかたせいはっしょうのち
近江鉄道 本線(湖東近江路線)愛知川駅~尼子駅の間、南東部にある
土塁のあるこの広場の平地部分にある説明には、メカタ姓発祥の地であることが謳われている。
愛知郡愛荘町目加田は、「メカタ姓発祥の地」として知られる地域である。目加田地区には戦国期の領主であった目賀田氏の居城、目賀田城が築かれていた。現在は目賀田城跡公園として整備され、城館跡の土塁や周濠跡などが残されている。愛荘町は目賀田城跡を町指定史跡としている。
目賀田氏は、戦国時代に近江国守護の佐々木六角氏に仕えた重臣である。愛荘町の説明によれば、天正4年(1578) に織田信長が安土城を築く際、安土山(目加田山)にあった目賀田氏の屋敷を、目賀田貞政の所領である光明寺野、現在の目加田へ移した。ここに築かれたのが目賀田城である。
天正10年(1582) の本能寺の変では、城主の目賀田堅政が明智光秀に加担したため、豊臣秀吉によって所領を没収された。城はその後も存続したが、慶長2年(1597) に廃城となった。一族や家系は全国各地へ流散・定着した。文字表記は「目賀田」「目加田」「目片」「目方」などに分岐・変化しながら現代に継承されている。当地の住民と全国のメカタ姓の有志により「全国目加田会」が結成され、源流地としての歴史を伝えている。
なお、目加田地区には、メカタ姓の発祥地であることを宣言する標識がそこかしこに設置されている。
- https://goo.gl/maps/MAJfNj6y473LNBnx5
- https://goo.gl/maps/RJGKYx7Q8ehRAxmi9
- https://goo.gl/maps/kZQWsJecgfpomLcSA
- https://goo.gl/maps/aMSsqdrHcKqYkSCG6
豊郷・愛荘・甲良あたりへのんびりサイクリング
— メカタマサエ/侍サイクル・奥方マネジャー (@mekata19) April 20, 2022
メカタが指さしている看板に注目
「メカタ姓発祥の地」
メカタは京都生まれだけど、今住んでいるところの近くにこういう場所があるって面白いなぁ pic.twitter.com/TykhOPjOvy
写真
碑文
目賀田 城 目賀田城は、佐々木六角氏の重臣として活躍した目賀田氏が築城したと伝えられる城館です。目賀田氏は、天正十年(1582)の本能寺の変において、明智光秀に加担したことから、豊臣秀吉に知行を没収され一族は離散したとされ、当地目加田は、メカタ姓発祥の地であると言われています。
目賀田城は県下でも比較的類例の多い単純な方形構造を持つ平地城館です。現在の目加田集落が目賀田城をその南西部分に取り込むように成立しており、ほぼ一町四方の城館主郭内部においても今日、かなり宅地化が進んでいます。しかしながら、当城跡において残存する土塁は比高3mを有し、今回城跡公園として整備を図る地区の遺存状態は良好と言えます。
当城跡の特徴としては、現在は既に整地されていますが、城館北側の内湾部の存在があります。、これは堀を経て岩倉川に通じる舟入と考えられており、河川を利用した水運が想定されております。また、目加田集落の周囲を巡る里道においては、外部から集落に入る道が交差するところで3か所食い違いがあり、これを虎口の遺構とみると、目加田集落は城館を中心にして総構えで編成されたとも考えられ、留意すべき点と思われます。
平成15年7月、秦荘町史跡に指定。平成16年11月14日
秦荘町教育委員会
愛荘町
目加田
MEKADA
─むらじまん─メカタ性発祥の地
目賀田城跡公園のまち
048めかだ里中線
コメント