清和源氏 発祥の地
せいわげんじはっしょうのち
能勢電鉄 妙見線 多田駅から西へ約1.5km、多田神社(川西市多田院多田所町1-1)の階段脇にあるステンレス板の案内に朱書きで謳われている。
前身は多田院であり、天禄元年(970) に清和天皇の曾孫である源満仲が創建したとされる。満仲はこの地を拠点として勢力を築き、後世の清和源氏につながる基盤を形成した。満仲の死後には多田院に廟所が営まれ、満仲をはじめとする源氏ゆかりの人物を祀る祖廟として発展した。
現在の祭神は、源満仲、源頼光、源頼信、源頼義、源義家の五公である。頼光は摂津源氏、頼信は河内源氏の祖とされ、頼信から頼義、義家へと続く系統は東国にも勢力を広げた。鎌倉幕府を開いた源頼朝もこの清和源氏の系譜に連なることから、多田は武家の歴史を考えるうえで重要な場所となっている。
多田院は鎌倉時代には幕府の保護を受け、室町時代には足利将軍家からも厚く崇敬された。多田神社には鎌倉時代から桃山時代にかけての古文書492通を収めた「多田神社文書」が伝来し、多田院が源氏の祖廟として重要な位置を占めていたことを伝えている。
現在の本殿、拝殿、随神門は江戸時代に徳川家綱によって再興されたもので、いずれも国の重要文化財である。境内一帯は旧多田院の遺構を含むことから国の史跡にも指定されている。明治初期の神仏分離によって多田院は多田神社となった。
令和8年(2026) 8月、神戸地方裁判所へ民事再生法の適用を申請した。神社の経営不振というより、前宮司を中心とする2億円を超す巨額の借り入れと担保設定、それに伴う返済・競売問題が、現在の民事再生申請につながった。話は何年にもわたって聞こえていた。神社としては、当時の宮司の口座に移され外部に流出したもので、実態のない事業計画による借り入れは神社が返済義務を負うものではないとして争ったが、貸出側に過失が認められず、ようやく民事再生という形で決着することとなった。
兵庫県 多田神社
— ゆう✨光の射す方へspoon✨プラス縁ある方へ✨新時代へ✨✨✨激動期のりきりましょう✨ (@Y21436500) December 20, 2020
源満仲公が摂津国一の宮住吉大神の御神託を受けて創設した清和源氏発祥の地となった神社
元は、多田院という神仏習合のお寺でしたが、明治の神仏分離令によって今の多田神社
主祭神
源満仲(一の宮)
源頼光(二の宮)
源頼信(三の宮)
源頼義(四の宮)
源義家(五の宮) pic.twitter.com/Olhy5x3m6p
三ツ矢サイダー発祥地が川西市であることにちなんだ表示もあるかもしれない。
写真
碑文
国指定史跡 清和源氏発祥の地
多田神社
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