高木氏 発祥の地

たかぎしはっしょうのち

画像求
撮影:
どなたか見てきてください!

東海道本線 西岡崎駅から北西に2km、名鉄名古屋本線 宇頭駅から南に2.1km、名鉄西尾線 南安城駅から北東に2.2km、北安城駅から南東に2.2km、安城市高木町御用米の農耕地の一角に、石標と説明板がある。

高木氏発祥の地は、愛知県安城市高木町御用米に所在する高木城跡周辺である。当地は碧海台地の東端にあたり、高木城跡の石標が建つ。

高木氏は室町時代のはじめに高木の地へ移り住んだとされる一族で、この地を本拠として活動した。戦国時代になると高木清秀が登場し、刈谷城主水野信元に属した。永禄6年(1563) に始まった三河一向一揆では水野氏方として戦功を挙げ、その功によって徳川家康から高木氏の祖先がかつて領有していた高木の地を与えられたとされる。

その後、清秀は徳川家康に仕え、小牧・長久手の戦いなどにも従軍した。天正18年(1590) 、家康の関東移封に伴って高木の地を離れ、関東へ移住した。これにより高木氏の本拠としての歴史はこの地で一区切りとなった。高木城は高木氏の居館であったと考えられており、現在は城郭としての遺構はほとんど残っていない。

なお、令和5年(2023) 頃までは旧版だった。

写真


碑文

市指定史跡 高木《たかぎ》氏《し》発祥《はっしょう》の地《ち》

昭和40年10月1日指定

高木氏は、室町時代に現在の安城市高木町に移り住んだ一族と考えられます。
高木氏の居城《きょじょう》が町内にあったと推測されますが、正確な場所は不明です。
高木清秀《きよひで》は、大永《だいえい》6年(1526) に三河国《みかわのくに》牧内《まきうち》(現岡崎市大和町《だいわちょう》・東牧内町《ひがしまきうちちょう》)に生まれました。永禄《えいろく》6年(1563) の三河一向一揆の際には、松平(徳川)家康に加勢した刈谷城主の水野信元の家臣として一揆鎮圧《ちんあつ》の功績をあげ、家康から先祖がかつて持っていた高木の名田《みょうでん》を与えられました。清秀は、天正《てんしょう》10年(1582) に家康と主従関係を結び、高木を含めた1千石の領地を得ることになります。その後、天正18年(1590) の家康の関東移封にともない、関東地方に5千石を与えられて高木の地を去りました。
清秀の子の正次《まさつぐ》は、元和《げんな》9年(1623) に河内国《かわちのくに》丹南藩《たんなんはん》(現大阪府松原《まつばら》市丹南)1万石の初代藩主となります。
高木氏は、大名として明治維新まで続きました。

郷土の文化財を大切にしましょう
安城市教育委員会

髙木城跡

d

地図

地図

安城市高木町 付近 [ストリートビュー]