碧海郡の郷名の発祥の地

へきかいぐんのごうめいのはっしょうのち

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撮影:
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名鉄西尾線 堀内公園駅から東に350m、碧海山古墳(安城市桜井町干地《かんち》16)南西隅に小振りな看板が設置されている。

碧海山古墳の墳頂には、かつて碧海大明神《へっかいだいみょうじん》と称される社が祀られていた。この社伝において、神話上の人物である倭姫命《やまとひめのみこと》がこの地に立ち寄り、碧海大明神と称したことが碧海郡の地名の由来であるとする伝説が残されている。

碧海山古墳という名称自体が、かつて墳丘上に鎮座していた碧海明神(碧海山)に由来する。そのため、地域の伝承や解説において碧海郡(あるいは碧海郷)の名が生まれた場所として説明される。

なお、史実における碧海郡の語源は古代の「青見《あおみ》」という地名に基づくものであり、倭姫命による伝説は後世に付け加えられた神社・土地の伝承である。

当地の郡名の初出は飛鳥時代の木簡に見られる「青見評《あおみのこおり》」および「青見里《あおみのさと》」である。青見里は現在の愛知県安城市付近に位置していた。 大宝元年(701) 大宝律令の制定を経て「評」から「郡」へ移行し、和銅6年(713) の好字令などにより漢字2文字の「青海」や「碧海」の字が充てられた。持統天皇の時代には「青海郡」、平安時代にかけて「碧海郡」の表記が定着した。古代から平安時代にかけては、漢字が「碧海」に変わった後も読みは「あおみ」であった。

江戸時代に入ると、漢字表記「碧海」を音読みする「へきかい」という呼び方が市井や行政の現場で定着した。明治11年(1878) の郡区町村編制法の施行にあたり、行政上の正式な読み方として音読みの「へきかいぐん」となった。

ただし、桜井町干地にある碧海山古墳が「碧海」という地名の発生地点であるという意味ではない。あくまでこの地域を「碧海郡の郷名の発祥の地」とする伝承である。

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碑文

市指定史跡 碧海山古墳

昭和四〇年一一月三日指定

この古墳は円墳で一部破壊されていますが、平面の直径約二五米、高さ約四米(復元推定)で、頂上が平坦で広いことがこの円墳の特徴です。大きさ、形からみて古墳時代の前半期(一四〇〇~一五〇〇年前)のものと思われます。桜井地区には前半期の古墳が比較的多くみられ、古代の西三河地方に於てこの地域が特殊な立場にあったことを暗示しています。また、此の地は碧海郡の郷名の発祥の地と伝えられ、倭姫命の御霊を祈りて社を建て、碧海大明神と称し、里人の崇敬を受けていました。舟繋の椎の大木、一葉松の名木もこの地にありましたが、今は朽ちて里人の俚伝となっています。
郷土の文化財を大切にしましょう。

昭和五六年三月一日

安城市教育委員会

地図

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安城市桜井町干地 付近 [ストリートビュー]